自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2016年2月5日金曜日

『監獄の誕生』(フーコー) 近代が求めたはずの自由の矛盾

 

ヒストリー
 ポストモダンの人は何を言っているのかよく分からない本を書く人だけかと思っていたら、この人は全然違っていた。近代における個の自由はそのはじめから、他によって制限されることで獲得されるというアポリアを持っていた。近代はそれでも尚その問題の解決を模索して、例えばルソーは一般意思と社会契約でそのことを乗り超えようとした。しかし現実に進行していることは、この近代が求めたはずの自由の矛盾であって、端的に規律外れの個の矯正(良く言えば教育)とそれを可能にする諸技術を駆使した監視社会なのである、と明快な近代西欧政治批判。

 何故そう言えるのか、それは監獄(犯罪と処罰でもいいけど)の現実と歴史の詳細な研究に基づいた洞察にによっているから。あたかもマルクスが経済社会を商品というキーワードで解きほぐしていったように。権力とは監視し規律外れを矯正する社会全体にわたる細部の制度・文書・装置などの総体を指し、それらは歴史の産物であって、具体的に名指しは出来ないがその圧力は感じ取れるだろう。ではどうすれば良いのかは書いてない。それはこうだなどと書いてあったらウソだとすぐ分かりそう。