自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2020年3月27日金曜日

3月27日(金) 『天皇 昭和から平成へ』葦津珍彦著 平成元年

河口湖から見えた富士山
市井の歴史の先生の歴史サークルで、天皇が話題に上ることが時々ある。天皇のことを知りたいときには、天皇を中心にした日本国を作りたいと思っている人びとに、思想的に大きな影響力を持っている葦津珍彦(あしづうずひこ)という人の本を読むと良いよ、といわれていたので読んでみた。

 なるほどねー、でも、この考えに賛同しないと日本国民ではないと言われたら、それは違うだろうね。本文でとりあえず目についた箇所から抜粋した文章をいくつか記しておきました。

第一章(現代世界の国家構造解説)のなかの「日本の君主制」という節より

「日本の皇室は、私の考えでは決して能力主義者ではない。君主にとっては、知能、武勇そのほかの政治能力も大切であるが、その能力が第一義ではない。なにが大切かといへば「公正無私」の精神的統合の資質である。」

「それ(=公正無私の高貴なる精神)は、神を祭ることによって生じる。日本の天皇は、神の祭り主としての任務を第一とされ、公正無私を第一とされた。」

「日本の天皇とは、祭り主としての公正無私を第一義とされた。国民は、人間的能力を基準として、国の最高位者を考えないで、祭り主の公明正大さを尊いとした。」

「私は、これ(=直前記の「 」内文章)を日本の国家構造の根本だと信じている。」

第三章(神聖を求める心)より

「自らがいいと信ずる政策の勝利をもとめ、自らの適切と認める政権担当者を選ぶためには、大いに自由であったがいい。だが当然、そこには対決闘争と謀略が生ずる。しかしそれはしかたがない。けれども、それを仕方がないからと言って、ただそれだけに放任しておけば、国民の精神は、ただ分裂して統合するところを知らず、謀略闘争にのみ終始して、罪けがれの泥沼におちて、人間の神聖感を失ってしまふであらう。」

第五章(祭りと祭り主)より

「私は、端的にいって霊感を信ずるものです。〈中略〉神道人の立場から考へれば、通常的な人間知性とか感情といっても、もともと神々から生みつけられ授かったものです。ただ霊感者だけが神意に通ずる能力があるのではない。霊感を無視する近世近代の知性人は、とかく神意から遠ざかる傾向に流れやすい。私は、近世近代の知性人が、霊感を無視しがちなのには不満です。」

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 ついでに、2014年に読んでみた、同じく葦津氏の著作である『新版 国家神道とは何だったのか』(神社新報創刊60周年記念出版 神社新報社 平成18年)からの抜粋も記してみた。

十七 国家神道に対する評論、より

「「国家神道」とは、明治いらいの国家と神社との間に存した法制度であって(その法の思想を含むとして)もいいが、それは「非宗教」の一般国民精神とも称すべきものであった。」




2020年3月6日金曜日

3月6日(金) プラトン『ソクラテスの弁明』(納富信留)

カクテル
56年ぶりの再読、今度は納富信留訳で読んだのは西研さんの『哲学は対話する』を読んだからだ。『弁明』の面白さ、深さを教えてもらい、その気になって読むことができた。いずれ、別ブログ(名著読解の方かな)に掲載予定。

 プラトンのこの短い本には、師ソクラテスの哲学つまり「愛知」=フィロソフィアとは何かと考え続けた弟子のソクラテス論のエキスが詰まっていることを教えられた。不知の自覚(無知の知として知られているが、納富さん訳の不知の自覚の方が西さんが言うように適切だと私も思う)は楽しみを与えてくれるものですね。