自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2018年3月7日水曜日

3月7日(水) カントは70歳を過ぎて『永遠平和のために』を出版した


今日は、10年ほど前に書いた『永遠平和のために(カント)』のメモを記載した。

シンデレラ
200年以上前に書かれたこの本は、大哲学者カントが晩年(71歳の時に初版)、永遠平和を希求して著したものだ。訳者は解説で、カントはこの原理を更に展開したいと語っていたが実現しなかった、と述べているように、本書には原理しか書かれていない。しかし、それが却って原理を際立たせてくれる。現実を追認して肯定する視点からは、永遠平和を達成する原理を理解することの大切さは見えてこない。だから、今でも読む価値がある。

内容をかいつまんで記述してみると次のようになる。本の構成は二つの章と二つの補説および付録二項からなっている。第一章は、人類がこのまま行けば戦争により滅亡するであろうことを防ぐための条件が書かれていて、六つの条項から成っている。特に有名なのは、「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」という条項である。

第二章は、永遠平和のための三つの施策が書かれている。その施策とは、国家は共和制でなければならないこと、国際関係は自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきこと、世界市民法は普遍的な友好の諸条件(征服ではなく、友好的な訪問の権利が認められ、それが次第に世界市民体制へと近づける、という考え)で規定されるべきこと、である。

補説では、それらの根拠として主として自然の合目的性(カントの言う目的性については『判断力批判』に書かれている)を挙げている。

付録では、基本的にカントの定言命法(『実践理性批判』に出て来る命題で、「自分の行為のルールが、同時にいつでも誰にとっても妥当なルールとなるように行為せよ」というもの)と義務を求める道徳哲学に基づいた議論がなされている。

その他、政治と道徳の二律背反(二律背反=アンチノミー、に関しては『純粋理性批判』に書かれていて、とても面白い)公表性をキーワードとして一つの原理を提出している。