自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2022年7月24日日曜日

フッサールのイデーンをまた読み始めました

 今月から、NHKカルチャーで竹田青嗣先生がイデーンⅠ-Ⅰ解読講座を開設した。イデーンということと、12月には数年ぶりの合宿も企画されているというので、参加することにしたが、もったいないので自分が発表する分だけではなく、講座で取り上げられる箇所全部についてレジュメを作って、別ブログ「爺~じの「名著読解」」に逐次掲載することにした。どこまで続けられるか分からないけど。

芳純
今回の講座で取り上げられているところは下記(つまり続きがあるのでしょう)。

第一篇 本質と本質認識
第一章 事実と本質

第1節 自然的認識と経験
第2節 事実。事実と本質との不可分理性
第7節 事実学と本質学

第二章 自然主義的誤解

第22節 プラトン的実念論だとする非難。本質と概念
第23節 理念を見てとる働きの自発性。本質と虚構物
第24節 一切の諸原理の、原理

第二篇 現象学的基礎考察
第一章 自然的態度のなす定立と、その定立の遮断

第27節 自然的態度の世界。すなわち、私と私の環境世界
第28節 コギト。私の自然的環境世界と、理念的な環境諸世界
第30節 自然的態度のなす一般定立
第31節 自然的定立の徹底的変更。「遮断」、「括弧入れ」
第32節 超越論的現象学エポケー

第二章 意識と自然的現実

第34節 心理学的現象学的な主題の形で論ぜられる、意識の本質
第35節 強い意味における「作用」としてのコギト。非顕在性への変容
第36節 志向的体験。体験一般
第37節 コギトにおいて純粋自我が「何かの方に立ち向かっている」ということと、把握しながら注意するということ
第38節 作用に対して加えられる反省。内在的知覚と調節的知覚
第39節 意識と自然的現実。「素朴な」人間の見解
第41節 知覚の実的成素と、知覚の超越的客観
第42節 意識としての存在と、実在としての存在。直観様式の原理的相違
第43節 一つの原理的誤謬の、解明
第44節 超越的なものの単に現象的な存在、内在的なものの絶対的な存在
第45節 知覚されていない体験、知覚されていない実在
第46節 内在的知覚には疑わしさがないこと、超越的知覚には疑わしさがあること

『イデーンⅠ』あとがき(⇒これは本書冒頭に置かれている)