自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年1月29日火曜日

1月29日(火) 岩波『日本歴史』近現代Ⅰ積ん読解消へ向けて


あゆみ。背景はシンデレラ
岩波『日本歴史』全22巻は2013年~2015に刊行された、岩波書店の歴史講座シリーズだ。本講座は、1933年以来四回リニューアル刊行されて、今回は前回の岩波『日本通史』から大体20年ぶりの5回目の刊行となる。
『日本通史』の方は、古代のところまで読んだあと、飛ばして現代史を通読し、別ブログにまとめつつある。でも、中世、近世とまだ先が長そう。
 そうこうしているうちに、多分ここ20年ほどでかなり変わってきたであろう現代史をもっと知りたくなってきて、『日本歴史』近現代Ⅰの部分5冊積ん読状態で数年が過ぎてしまいました。ということで、読み始めることにしました。
 各章毎くらいに、上記の別ブログにアップロードス予定にしています。


2019年1月5日土曜日

1月4日(金) アーレント『活動的生』④第一章 人間の被制約性 3 永遠対不死



ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)

「 」内は本文引用、< >内はアーレントのキーワード(必要に応じて)。


第一章 人間の被制約性



ピース

3 永遠対不死

この節の一言⇒人類ではなく個々人の生を問題にしたい


この節では永遠と不死の違いが述べられる。ソクラテス学派以来、思考が行為から解放され自立し、原理的に観照は活動よりもより高い地位にあり、この二つは対立するもので、人間の全く違う二つの中心的関心が対応している、と考えられてきた。そのことを理解するためには、不死と永遠という二つの原理の相違を考えてみるのが良いからである。


なぜ、このことをここで問題にしているのかといえば、活動的生活と政治生活の源泉は「不死への努力」の方であったのに、結局現代に至っても、そのことを忘却の彼方から救い出せていないから、と著者が考えているからだろう。


ギリシャ人にとっては、不死は自然およびオリンポスの神々に与えられていたものであり、不死である宇宙で人間は唯一死すべきものであった。また、ギリシャ人は永遠なる唯一神の支配下にあるのではなく、神々の不死の生命と向かい合っていると理解していた。同時代のペルシャやユダヤではそうではなかった。


可死性が人間存在の印となるものは、他の生命(動物とか)のように不死を生殖によって保証する種ではないからである。人間は不死ではないがゆえに、生きている間にどれほどの偉大さを可能性として持てるのか、仕事、功業、言葉を生み出して遺すことができるのか、を問題とするのであり、そのことで自分たちにとっての不死を獲得することができたのである。この考えはヘラクレイトスの時代までは適用されていた。


ソクラテス以降は上記の考えは殆ど消え失せた。厳密に形而上学的な思考の中心に永遠なるものを置いたのはソクラテスかプラトンであった。ソクラテスは偉大な思索者の中で唯一自分の思想を書き残さなかった。なぜなら、ソクラテス自身にとって永遠なるものがいかに思考の中心であろうとも、書き残すという作業を始めた瞬間にその永遠なるものを放棄することになると考えたからである。つまり、書き残した本人の第一義の関心事は自分が考えた痕跡を後世に残すことであって、それが不死性に通じることつまり活動的生を選ぶことであったとしても、永遠へとは至らない、と考えていたからであろう。さらに驚くのは、永遠と不死の間の真の対立を発見し、哲学者の生活とポリスの生活との、あるいは観照的生活とポリス的生活との、調停不可能な闘争を発見したのはプラトンであって、ソクラテスではなかったということである。ソクラテスは後世のように不死と永遠を対立的に捉えておらず、かつ永遠を思考の中心に置きつつも不死へと通じる行為という活動的生を選択した。


永遠なるものに対する哲学者の経験はただ人間事象の外部にのみ、そして人間の複数性の外部にのみ起こりうることである。このことは、プラトンの『国家』における洞窟の比喩から知られる。哲学者はみんなと離れて一人で洞窟を去り世界からも複数性からも去る。永遠なるものの経験は一種の死である。永遠なるものの経験は不死なるものの経験とは違って、いかなる活動力とも関係できず、またそれに転化もできないということにある。


観照(theoria)という言葉は、永遠なるものの経験に与えられた言葉である。この経験はそれまでの経験である不死の経験とは全然違っていた。まず、不死の筈であったポリスが崩壊した(アテネ崩壊)。ロー帝国が没落して、死すべきものの手になる仕事はどれ一つとして不死ではないことが証明され、続いてキリスト教の福音が永遠なる個体の生命を説いて、反対に人間は死すべき定めではあるが人間によって作られた世界の方は不死であり得る、との信仰に支えられていた古代宗教は終焉を迎えた。


「つまり、近代が勃興して、それ以前の秩序、とりわけ行為と観想との伝統的な上下関係を、力ずくで転倒したときでも、かって活動的生および政治一般の源泉にして核心であったはずの不死を求める努力を、忘却のなかから掘り起こすことにすら成功しなかったということ、これである。」

2019年1月3日木曜日

1月3日(木) アーレント『活動的生』③第一章 人間の被制約性 2 活動的生という概念



ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)



「 」内は本文引用、< >内はアーレントのキーワード(必要に応じて)。
ピエール・ドゥ・ロンサール

第一章 人間の被制約性

2 活動的生という概念

この節の一言⇒人間の活動を支えているのは死より生、循環より変化

古代ギリシャに溯る<活動的生>という概念は近代に至るまでにさまざまな変容を重ね続けてしてきたが、観想的生に圧倒的優位を与えることとなった西洋の伝統のもとにおいて一貫して否定的ニュアンスで捉えられてきた。しかも、近代になって西洋の伝統的秩序が転倒されてもなお、この伝統を支える信念、つまり、「人間の一切の活動の根底には、唯一無二の中止的関心事が潜んでいるのでなければならない、なぜなら、その様な統一原理がなければ、そもそも秩序を確立することなど出来るはずもないからだ」という信念は共有されている。そして、この信念は何ら自明ではない。

伝統と対立する<活動的生>という概念を著者が人間の根本活動(<労働>、<制作>、<行為>、の総称)を示すものとして使用しているのは何故だろうか? それは、伝統的な形而上学や政治哲学や観照的哲学や近代プラグマティズムでは人間の根本活動を捉えることが出来ないからに他ならない。「伝統に対する私の異議は、本質的には、次の点に存する。つまり、伝統的な上下の身分において観想に認められてきた優位が、活動的生の内部での諸々の分節化や区分をぼやけさせ、看過させてしまったこと、しかも、古来の個の実状は、見かけとは全く裏腹に、近代になって伝統が途切れ、マルクスとニーチェによって伝統的秩序が転倒されても、何ら変わらなかったこと、これである。」

著者が<活動的生>という言葉を使うときには、静的より動的、死より生、永遠の同一より多様な変遷、といった部分に人間の根本的活動が根差しているという感度がある。「活動的生について語るとき、私がむしろ前提しているのは、活動的生に含まれるさまざまな活動が、「人間一般」の抱く永遠に同一であり続ける根本的関心事に還元されるなどと言うことはあり得ないこと、さらに言えば、それら多様な活動は、観想的生の根本的関心事より上位にあるわけでもないこと、このことなのである。」

 著者は、活動的生という概念で人間の被制約性として観照的生に潜んでいるであろうなんらかの側面は扱うことは出来ないこと、また真理とは人間に本質的に与えられているものという伝統的な真理概念を否定も俎上に挙げることもしないこと、と断りを入れている。




★<活動的生>の概念が変容してきた歴史


・活動的生という概念は西洋政治思想の伝統そのものと同じだけ古いが、それより古いというわけではない


・活動的生という概念の生じたきっかけはソクラテス裁判(哲学者ソクラテスは、自身の正義を貫いたがためにB.C399年に裁判にかけられ、法に基づいて下された死刑の判決がもたらした状況から逃れることが出来たにもかかわらずそれを拒否して死を選んだ)であった


・ソクラテス裁判によって政治哲学が生じた。以後この政治哲学は、政治上および哲学上の西洋の伝統の基礎をなすこととなった


・プラトンの政治哲学には、観想が、あらゆる種類の活動に対して、それゆえ行為という政治的活動に対しても、有していた法外な優位が見られる。「プラトンは、ポリスのユートピア的秩序が、哲学者の思慮深い洞察によって導かれるべきだとするが、そればかりではない。プラトンの構想した政治体制からしてすでに、哲学者の生き方を可能にすること以外のいかなる目標も持たないのである。」


・アリストテレスのbioi=生、の領域からは、<労働>と<制作>という生き方は除外されていた。アリストテレスは、bioi=生、を三つの生き方に区別した。その三つの生き方とは、「第一に、物質的に美しいものを享受し蕩尽することに明け暮れる生であり、第二に、ポリスの内部で美しい行いを成し遂げる生であり、第三に、過ぎ去ることの決してないものを探究し直観することによって、永久に美しくあり続ける者の領域に留まる哲学者の生である。」。この三つの生き方からは、「自ら進んでであれ、嫌々ながらであれ、一時的にであれ、全生涯にわたってであれ、自由に動いたり活動したりすることが出来ない生き方、人生のどんな一瞬にせよ、自分の時間とその都度の滞在場所をいのままとすることができない生き方」はすべて問題外として除外されている。つまり、アリストテレスの列挙した三つの生き方は、theoriaつまり観照と、bios theoretikosつまり観照的生、の理想によって、あからさまに導かれている


・ギリシャ世界においては、自由の前提条件だとふつう見なされていたのは、やむにやまれぬ生命の必要からも他者による強制からも自由なあり方であった。これに加えて哲学者たちは、政治的活動から解放されること、つまり閑暇、言い換えれば、一切の公的な用務を差し控えること(schole)、を自由の条件としたのである


・アリストテレスの考え方は、ポリス的なものに対するギリシャ人(市民)一般が抱いていた次のような考え方の基礎の上に成立していた。真にポリス的なものは、人々が安定して共生しているところではどこでも、どうしても成立せざるを得ない、というわけでは決してない。専制的支配というのは経験上、ポリスの形成以前のあらゆる共同体において必要であったからこそ、ギリシャ人は、支配者として生きることは自由人生き方にはふさわしくない


・アリストテレスにおいては、静止の欠如(ascholia)は一切の活動のあり方を特徴付ける印であった。「静止とは、いわば息を殺して一切の身体運動を停止することであり、静止の欠如とは、ありとあらゆる活動に記されるものであった。静止と静止の欠如の区別は、すでにアリストテレスにおいて、ポリス的な生き方と観想的な生き方の区別立てよりも、重要度の高いものであった。なぜなら、静と動の区別は、観想的生を含む三つの生き方のいずれにおいても立証できるからである。」。「外的運動であれ、言論や思考といった内的運動であれ、ともかく心身を動かしているものは、真理を観取したあかつきには静止するのでなければならない、というわけである。」


・中世哲学において、vita active=活動的生という言葉が最初に見出された。bios politikos つまりポリス的生というアリストテレスの概念をラテン語に翻訳する時に用いられた。だが、その際に意味を決定的に歪められて解釈されてしまった。アリストテレスは「bios politikosを本来の意味での政治的なものの領域のみを表し、それとともに本来の意味でのポリス的活動としての行為(prattin)を表していた。」(ポリス的自由人によるポリスの領域における活動としての行為のこと、だろう)。「しかし、古代都市国家の消滅と共に、<中略>活動的生という概念は、その真にポリス的な意味を失い、この世の事柄に活動的に従事することならどんな種類であれ言い表すようになった。」。そして「活動的生という概念から<労働>と<制作>が人間の活動の位階秩序において昇進し、遂に政治的なものに匹敵するほどの尊厳を手に入れた、というわけではない。むしろのその正反対であった。今や<行為>も、この世に生きるために絶対必要な活動の水準にまで押し下げられた。その結果、アリストテレスの挙げた三つの生き方のうち、三番目の vita contemplativeつまり観想的生、ギリシャ語で言えばbios theoretikosつまり観照的生だけが、残ることになったのである。」


・「おそらくポリス的なものがかってどのような位置を占めていたかを少なくともまだ知っていた最後の人であったであろう」アウグスティヌスは、「vita negotiosa つまり多忙な生、もしくは vita actuosa つまり活発な生という語を使っており、こちらには、もともとのギリシャ的意味がまだ残っている。アウグスティヌスは、政治的事柄に公的に捧げられた生、という意味で使っているからである。」


・「後代のキリスト教は、政治的な用務に一切煩わされず、公的空間で起きていることを気にすることなく生きてよいのだと主張した。明らかにそれに先だって、古代後期の哲学諸派は、政治に対する無関心の態度を意識的とっていたのである。キリスト教は、それまでは少数の人々によってのみ主張されていたことを、万人に対して要求したに過ぎない。」


・中世のvita activa の概念には、人間のあらゆる活動が含まれるのだが、その場合に、労働、制作、行為はいずれも観想における絶対的静止の観点から理解されている。その限りで、活動的生は、ギリシャ的に解されたbios politeikos よりもギリシャ語のascholiaつまり静止の欠如、に近い語感を持っている


・「真理を前にしての絶対的静止というこの(アリストテレスの)考え方は、存在は己を現す、としたギリシャ的真理観に妥当するものであったのみならず、生き生きとした神の御言葉によって真理は啓示される、としたキリスト教的真理観にも依然として妥当するものだった。」

・キリスト教では、死後の世界がいかに至福に満ちたものであるかは、観想の喜びにおいて予告されるとされる。死後の生へのこうした信仰は、活動的生の価値低下を決定づけた

・近代のはじめに、マルクスとニーチェによって伝統的秩序が転倒されたが、その価値転換が遂行される際の概念枠組みそのものは、全くといってよいほど無傷のままであった

2019年1月2日水曜日

1月2日(水) アーレント『活動的生』② 第一章 人間の被制約性 1 活動的生と人間の条件


ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)

「 」内は本文引用、< >内はアーレントのキーワード(必要に応じて)。
ピエール・ドゥ・ロンサール

第一章 人間の被制約性

1 活動的生と人間の条件

この節の一言⇒人間が生きているときの根本活動には三つある

vita active つまり<活動的生>とは、本書では、人間の三つの根本活動、すなわち<労働>、<制作>、<行為>、を総称する言葉として用いられる。この三つが根本活動だと言えるのは、それぞれに対応している条件が、人類がこの地上に生きる上での根本条件をなしているからである。」。人間や人間の集団が存在するその在り方を、それらの本性とか本質とかいうような、ある想定された真理を追求することによってではなく、人間の実存を支える条件を問うということによって理解していこうとする著者の基本思想が示されている。この発想の根底には、事物存在を人間と切り離さず人間にとっての存在として捉え直したハイデガーの実存哲学があるのだろう。

「労働という活動にとっての根本条件は生命それ自体である。」。人間の肉体は自然物を採取飲食することで維持される。そのために自然物を生産し加工して肉体に供給できるようにする人間の活動が<労働>である。<労働>によって生産された物は、自身の生命循環プロセスの一環として消費されるだけである。

「制作という活動にとっての根本条件は、世界性である。すなわち、人間的実存が対象性と客観性に差し向けられ依拠していることである」。人類が<労働>で生産した物を消費しながら命の再生を永遠に繰り返すことができたとしも、人間は、その様な存続の仕方に甘んじることが出来ず、さまざまな物からなる人工的世界を生み出して、そこを故郷として生きることによってしか安住できない存在者なのだ。逆に言えば、人間は自然のうちでは故郷を失った生活を送らざるを得ない存在なのだ。人間のそのような有り様における活動を、上記のような<労働>とは区別した活動として、<制作>と名づけた。人間は<世界>を構成している事物を、己とは別の客観的存在(例えば今ここを生きるために必要な食物)としてだけではなく、それを対象化して己にとって持つ意味(例えば死後も残って子孫に役立つインフラ、あるいは歴史に残る建築物)を問う存在者である、と。

「行為に対応している根本条件は、<複数性>という厳然たる事実である。」。<行為>は、活動的生のうちで、事物の媒介によらずに人間同士の間で直に演じられる唯一の活動である。<複数性>は多数の人間がこの世界に住んでいるという事実から導かれるもので、フッサールの言う“間主観性”が織り込まれているように見える。<複数性>は他の活動と違って、<行為>という人間活動の必要条件であるだけではなく十分条件であり、従って際立って政治的なものと関連している。しかもアーレントにおいては、個々の人間は他のどの人間とも同じではないという感度が貫かれている。「行為には、なんらかの複数性が必要なのであり、しかもその複数性においては、なるほど誰もが同じ人間なのだが、それでいて誰一人として、過去、現在、将来における他のどの人間とも同じではない、という奇妙だが注目すべきあり方においてそうなのである。」

「以上の三つの根本活動と、それらに対応する条件ははどれも、さらに、人間の生の最も一般的な被制約性に根ざしている。」。それは可死性と出生性である。可死性について言えば、労働は、個体だけではなく種の命をも保証し、制作が作り出す人工的世界は死すべき人間にとってのはかない生存に一定の存続や持続を与え、行為は、それが政治的共同体を創設し維持することに役立つ限りにおいて、世代間の連続性のための、ひいては歴史の条件をつくり出す。出生性について言えば、行為はとりわけ密接に繋がっている。なぜなら、生まれてくる子どもには、「なんらかの新しい始まりを自ら為す、すなわち行為する、という能力が備わっているから」である。

2019年1月1日火曜日

1月1日(火) アーレント『活動的生』①序論 人間が人間であることの条件を問う本

ベビー・ロマンチカ
『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)は1960年にドイツ語で書かれたものの翻訳である。本書はハンナ・アーレントの著作『人間の条件』として知られているが、これは彼女が1958年に英語で書いたものである。
 『人間の条件』の方は、読書会で10年ほど前に一度読んだことがあるが、昨年の春から研究会で読み始めてみるとさらに奥深いことがわかってきた。そこで再度『活動的生』のほうで読み直し始めることにした。全部終わったら別ブログにまとめてアップする予定。
 本書を一言で言えば、人間が人間であることの条件を問う本、ということか

ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)

「 」内は本文引用、< >内はアーレントのキーワード(必要に応じて)。

序論

序論においては、本書のテーマ、背景、論の進め方、取り扱い範囲、歴史的射程などが示される。また、それらを支えている著者の思想・哲学も垣間見えている。

「人間の<思考>は科学的発見や技術的発展の後塵を拝するに過ぎないといった思い込みは、捨てざるを得なくなる。」。著者は、第二次世界大戦などの現代世界の経験を踏まえ、哲学の出発点は人間にとってのリアルな現実であるということを根底において、<思考>は知識やそれに基づく威力に先行すると考えている。「しかも、誰もが抱く思考や概念がそうなのである。」

「この啓蒙の理念は、最終的には大地からの人類の解放独立に行き着くのであろうか。そういう大地とは、われわれの知る限り、生けとし生ける者の母であるというのに。」。近代西欧啓蒙思想は人間にとっては主なる父である神からの離反を意味し、科学的思考と経験によって強大な力を獲得した現代科学・技術はさまざまな物や工作物を作り出し、人間にとって住みやすい<世界>や、自らを生み出すことも滅亡させることすらも可能にする力まで獲得してきた。しかし、それらは近代の「世界疎外」を生み、さまざまな疑問、憂慮、問題をも生み出している。本書は、それらの疑問、憂慮、問題に直接答えるものではない。それらは多数の人々に懸かる政治の任務である。

「わたしが心がけようと思うのは、活動しているときわれわれは何をしているか、をじっくり考えることであって、それ以上ではない」。著者は、人間とはかくかくしかじかのものである、という説明をしようとしているのではない。そうではなくて、人間が人間であることの条件を問うことあり、そうすることによって人間が人間であることの意味と価値を問おうとしている。

「活動しているときわれわれは何をしているか」の何は、<労働>、<制作>、<行為>という三つであり、それぞれの三つの章において考察される。但し最も純粋な活動である<思考>は含まれない。というのはこの三つの区分は万人の経験地平に存していることと、後で挙げられる理由による。最終章では、近代においてこの三種類の活動がいかなる相互関係を演じてきたかという歴史的考察を行う。<活動的生>と<観想的生>の関係についての歴史的問題地平はつねに考慮されている。

本書の歴史的射程は近代の終わりまでである。ここで、近代の終わりは19世紀末を指し、現代の始まりは最初の原子爆弾の炸裂(1945年)を指す。その理由は恐らく、17世紀から始まった科学技術の発展が人間の活動における一つの重大な歴史的画期であるという、またその究極においてつくり出された原子爆弾は単にその延長線にあるだけではなく、極めて政治的画期となったという著者の認識によるものだろう。歴史的分析が目指すのは、近代における世界疎外の根源に溯り追跡することである。そうすることで著者独特の概念として提示した<社会>という近代の現象を理解できるようになり、人類にとってある新しい時代が始まったこの瞬間におけるヨーロッパ人の置かれた状況を理解できるだろう。



★序論に覗えるアーレントの思想・哲学の断片。

・人間は近代以降、啓蒙思想と自然科学のお陰で自然の束縛から逃れようと欲望するようになり実際にそうなってきたが、そのことは人間が人間では無くなる可能性を孕んでいる

・現代の科学的知見と巨大な技術力を、どの方向で行使したいと願うのかだけが問題となり得る、そしてそれは第一級の政治問題だ

・自然科学的真理は、言語やそれを用いた思考によってリアルに描き出すことは出来ないような真理であって、心身を持って生きている人間に関する真理ではない(そこを誤るのは「科学の基礎付けの危機」の現れである)

・地表に生きる人類として、自然に束縛されていながら自然から逃れられると考えているような人間が、自分が行っていることを「理解」することは出来ない

・知ることと考えることが何も関係が無くなり、前者によってつくり出すことが出来るものが後者によって理解できるものより優れているとしたなら、われわれは自身の認識能力の奴隷に成り下がるであろう

・科学の基礎づけの危機には深刻な政治的側面がある。というのも、人間が政治の能力を付与された存在であるのは、ひとえに、人間が言語の能力を付与された存在だからだ

・科学の活動している場は、言語を失った数学の世界であり言語を駆使しようのない世界だから、人間事象に係わってくる問題では科学者としての科学者を信用するわけにはいかない

・人間は<複数形>において存在する。言い換えると、この世界に生き、活動し、行為する限り、その限りにおいて意味を持ちうるのは、われわれがその話題について互いに語り合うことの出来る、或いは自己自身と語り合うことが出来る、そういう事柄だけだ

・近代は、ジョン・ロック以来17世紀に労働価値説を賛美し始め、20世紀初頭に社会全体を労働社会へと変貌させることで終わった

・科学技術によって労働社会の束縛から解放されることになる労働社会においては、太古以来の夢である労働からの解放という、この甲斐ある社会の意味を殆ど知ることができない

・労働社会が平等主義的であるのは、平等が労働に適合したような生活形式だからであり、そのような平等社会の内には、知的労働者という言葉が象徴的であるように、人間の多様な能力を再び回復させてくれるような、政治的又は知的なタイプの貴族階級はいない

・労働社会の例外は詩人と思想家のみであり、おかげで彼らは社会の外部に立つほかなく、労働社会の前途を考えるとこれは由々しき事態だ

・<活動的生>に対して<観照的生>があって、この間には歴史を通じて関係があった

・人間の実存に課されている制約に対応する人間の基本的能力は、時代が変遷してもそう変わらない

・世界疎外には、大地から宇宙への逃避行、世界から自己意識への逃避行、という二つの面がある