自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年12月11日水曜日

12月11日(水) トマスモア『ユートピア』

ホワイトクリスマス
13年前の読書メモを少し訂正して書いたものです。平井正穂訳の岩波文庫版を読みました。

 著者は500年ほど前のイングランドの法律家で、大法官まで務めたが反逆罪でヘンリー8世に処刑されたとのことです。この本が著された頃の欧州は、人々が個人として目覚め始め、神の呪縛から解放されつつ社会や国家との関係において幸福の追求を意思し始めていまし
た。

 ユートピアという言葉は「どこにも無い」という意味の著者による造語ですが、その内容は、人間の幸せを実現するための望ましい社会のことです。その社会を一言で言えば、善意と尊敬と勤労に基づいた公共社会で、そこでは私有財産は無く平等で、市民は精神の自由な活動による幸福を享受している、というものです。昨日のブログに書いた、同時代の『君主論』と併せて読んでみると面白いと思います。

 ユートピアの具体的記述はもちろん現代とはマッチしませんが、そこで提出されている問いと解決法の原理は、現代においてもそこから汲み取るに値するような普遍性を持っていると思います。彼のヒューマニズム思想は、その後の近代思想に大きな影響を与え、現代人も知らず知らずにその影響を蒙っていることを思い起こさせます。

2019年12月10日火曜日

12月10日(火) マキャベリ『君主論』

リモンチェッロ
10年ほど前に岩波文庫(河島英昭訳)で読んだ書いた感想文を一部修正したものです。

 この本は西暦1532年にフィレンツェで出版されたそうだ。この頃、日本は戦国時代で家康が生まれる10年前になる。その内容を一言で言えば、君主の権力の根拠を解析し、権力保持の条件と方法を明確にした本である。

 まず感心するのは、客観的に社会を観察して分析し、そこにあった権力の法則を見出して言語化するという彼等の文化自体に対してである。本書を読んで、なるほど権力とはこういうものだったのかと感心して、それを現代に生かそうと考える向きがあるならば、当時は君主と貴族、都市住民と農民は同一の人間でありながら生まれながらにして異なる階層を成すことが是認され前提されているから、むしろ大事なことは、現代社会に対して実際に応用出来る部分はむしろ当時と同じなのだ気付くことなのかもしれない。


2019年12月3日火曜日

12月3日(火) デカルト『方法序説』を再読した

夢香

2007年頃に読書会でデカルトの『省察』を紹介することになったときに、参考資料に付録として纏めたものを見つけた。ここでは感想文だけ掲載します。まとめたのは別ブログに掲載した⇒爺~じの「本の要約・メモ」

感想】
 数学や理科が好きな子は、この本を読むと良いと思いました。本当のことは、先人に学び ながらそれを批判できるくらい自分で考えることによって知ることが出来る、ということがわかるのではないでしょうか。

この本は今から370年ほど前に著された、近代学問・思想の原点が示されている古典です。もともと、当時のいわば先端科学技術に関する主著である「屈折光学」「気象学」「幾何学」の序として著されたもので、デカルト自身が、「この序説が長すぎて一気に読みきれないといけないから六部に分けてある(そんなに長いとは思えないのですが)」、と書いてあるほどですから、何が書かれているかは比較的容易に理解できます。

しかし、その内容には哲学的にとても深いものが含まれていて、それは、自然を対象にしたものに限らず「何が真理で何が偽物なのか」について考えるための方法なのです。真偽は自分で考え、自分で納得したものであって、他人のそれではないのです。知識を学ぶことも大切ですが、真偽を判断する方法を学ぶことは更に大切なのです。
 
 デカルトの言葉としてよく引き合いに出される「我思うゆえに我あり」とは、デカルトが「何が真理で何が偽物なのか」ということをとことん突き詰めていった末に辿り着いた言葉だと思います。つまり、すべてが夢かもしれないと疑い尽くしたけれども、どうしても疑えないことが一つだけある、それは、そう考えているこの自分が考えている、ということ自体である、と。この思想は、先ず、自然科学をそしてその応用である科学的知識に裏付けられた技術を飛躍的に発展させました。あまりすばらしい発展だったので、その結果である知識に圧倒されて、デカルトが示したこの思想自体は現代においてかえって忘れられてしまったように思えます。 感想としては、数学や理科が好きな子は、この本を読むと良いと思いました。数学や理科だけではなくて、真理(本当のこと)を知ると言うことは、先人に学びながらそれを批判できるくらい自分で考えることである、ということがわかるのではないでしょうか。