自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年12月10日火曜日

12月10日(火) マキャベリ『君主論』

リモンチェッロ
10年ほど前に岩波文庫(河島英昭訳)で読んだ書いた感想文を一部修正したものです。

 この本は西暦1532年にフィレンツェで出版されたそうだ。この頃、日本は戦国時代で家康が生まれる10年前になる。その内容を一言で言えば、君主の権力の根拠を解析し、権力保持の条件と方法を明確にした本である。

 まず感心するのは、客観的に社会を観察して分析し、そこにあった権力の法則を見出して言語化するという彼等の文化自体に対してである。本書を読んで、なるほど権力とはこういうものだったのかと感心して、それを現代に生かそうと考える向きがあるならば、当時は君主と貴族、都市住民と農民は同一の人間でありながら生まれながらにして異なる階層を成すことが是認され前提されているから、むしろ大事なことは、現代社会に対して実際に応用出来る部分はむしろ当時と同じなのだ気付くことなのかもしれない。


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