自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2022年12月22日木曜日

岩波講座 日本通史 第7巻 (通史 中世1 12~13世紀の日本)

アクロポリス・ロマンチカ
   『岩波講座 日本通史』シリーズの「古代」(第6巻まで)を別ブログ「爺~の日本史メモ」に掲載してから、早くも6年ほど経過してしまった。この第7巻からは「中世」がはじまる。つまり時代の「画期」の開始となる。

「はじめに」には次のように書いてある。「本書の課題は、十一世紀後半から十三世紀初めにかけて、約一世紀半の日本列島の歴史の記述である。この時代は日本史上でも指折りの激動期である。」

 時代の区分として使われているのは、○○時代と日本史の教科書に書いてある区切りだが、この区切りとなっている時期が時代の「画期」でもある。しかしそうすると、どの視点からの区分なのかとか、後から検証してみたら影響の程度の大きさが顕著と判断されうるのか、とかで結構沢山の「画期」がありそうで、「画期」の意味がボケてきてしまう。

 そこで、日本史上の画期を「日本列島に住んでいる人々の生活に激しい変化をもたらした歴史上の一時期」、と捉え、ついでにちょっと名前をつけてみたが、どんなもんだろうね。

  1. 「日本国の出現期」:中国大陸に出現した統一帝国の脅威に対抗しつつ、同時にその文明を学びつつ、一つの「国家」が日本列島に出現した、7C後半からの50年間程。この時代に形作られた天皇と新貴族の二重権力構造を持った律令国家は、その内実を100年程で失うが、その骨格・形式は19Cまで、ある意味では今日まで継続する
  2. 「武家社会出現期」:日本社会の統治者が、天皇と公家から武家になった、13C前半の50年間程、一般的概念としての中世社会へ移行する時期。もうすこし言えば、一般の人々がそれなりの合理性に従って社会を動かす時代へと参加し始めた時代。武士の時代の文字通り血生臭い側面はゴメンだが、暴力抜きなら極めて前向きな精神という意味でのアニマルスピリットは思い出して良いかもね
  3. 「戦(いくさ)の無い時代の出現」:日本列島中が戦に明け暮れた戦国時代が終了して、徳川家康の天下統一が確立した、16C末からの50年間程。江戸時代は明治政府によって貶められたから、今でも後遺症が残っているようだが、エコな生活などこれからの時代にマッチした知恵があるかもね
  4. 「西欧文明社会への転換期」:世界を支配した西欧文明国の脅威に対処し、彼等の諸力を学びつつ、近代国家の基盤を構築した、19C後半からの50年間程。明治時代を切り拓いた先人達に学ぶことは多い。しかし、国家の実権を把握した次世代の指導者は太平洋戦争を引き起こして同胞だけでも300万人の命を奪った。そのような愚かな行動を取った国家の指導者が何故出現したのか、またそのような人々に国家の統治を委ねることになったのは何故か、その理由は何だろうか?キーワードは個々人の「自由」と集団の「自律」だろう
  5. 「現代」:後世の人々が文明を維持できているとしたら、この現代をなんと表現するのだろうか?。
 上記の1.から2.までは600年程、2.から3.までは400年程、3.から4.までは300年程、と画期の間隔は短くなっている。すると5.「現代」は4.から100年程経過しているから、そろそろ画期かも、というより、日本列島の住んでいる人々の生活はすで大・小の激しい変化にさらされつつある、と私は実感している。

要約したメモを下記の別ブログに掲載したので、興味があれば参照してね

爺~じの日本史メモ

2022年12月4日日曜日

『哲学と宗教 全史』(出口直明著)ダイヤモンド社 Kindle版 コンパクトで簡潔に纏まっているので便利です

芳純

  本当に博学、かつビジネスの実践者でもあった著者による、東西世界に歴史上出現した宗教と哲学の全史が簡潔に語られている。その分野の研究者ではない私にとってはとても便利に、つまり「それってなに?」という問いに対して「それはこういうことだよ」と、ふつうよりもとても広い視点から少しだけ深く説明してくれている。

対象が哲学と宗教となると、この「少しだけ深く」凡人に説明できる人はあまりいないと思う。しかもノウ・ハウものとは異質なヒントを与えてくれそうな、歴史に鍛えられた「考え方」を覗かせてくれる本の企画、さすがビジネス書のダイヤモンド社です。ただし、「考え方」を「より深く」自分なりにでも理解するには本書に紹介されている古典・名著を自分で読んでみる必要があるでしょう。本書二は、そのような古典・名著が紹介されているので、その点も利用価値があると思います。