自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2022年6月4日土曜日

『マハン 海上権力史論』北村謙一訳 原書房

パパメイアン
  本書は1890年に著された海軍戦略の最重要文献と言われている名著で、「陸の地政学」と言われているマッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』(1919年)と並び称せられているそうです。出口治明さんによれば、このマハン(アメリカ海軍軍人、歴史家)の地政学の考え方を知るには第1章(シーパワーの要素)だけ読めばいいと書いてあったので、緒論と第1章だけを読んでみた。尚原書は14章あるが、本訳書は抄訳で全8章の構成となっている。そのうちの緒論と1章と8章(原書では14章、1778年の海洋戦争の評論)が全訳。第2章~14章は、17世紀から18世紀(200年間程)に起こったヨーロッパにおける海戦の歴史で、目次の項目だけみても、随分沢山の海戦をしたことが伺える。その歴史から教訓つまり一般原則あるいは海の地政学といわれるものが導かれているようだ。

 ということで、その一般原則から二点だけ書いてみた。一つは、当時の主力であったであろう帆船から新技術による蒸気船へと変化するだろうことによって戦術が変わってくるが、その際に参考になる歴史的教訓があるという。それは、蒸気船は昔のガレー船との同じく風に左右されないことだ、と。確かにこれは歴史的に似た条件があれば、どんなに古い教訓であっても参考になるという意味で普遍性があるだろう。もう一つはかなり説得性がある。つまり、海軍は商船保護のために存在していたという教訓だ。つまり、具体的には植民地獲得と経営の決め手になったのは海軍だという教訓である。従ってシーレーンが地政学上きわめて重要であることが導かれる。その点に関して、大体19世紀半ばまでの300年間にわたる、スペイン、オランダ、フランス、イギリスなどの違いが述べれられている。もちろん当時は最後にイギリスが覇権を握ったのだが、要するに国民性だと。つけくわえれば、冒険心はあっても価値を収奪するだけの国は滅び、価値を自ら創り出す国が強いのだと。これは国家の戦略に関わることで、兵隊の数がものを言う陸軍とは違って、海軍においては大きく影響したはずであろう。