自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年4月23日日曜日

4月23日(日) カント『判断力批判』を読み始めることになりました

 
ホワイトクリスマス
『純粋理性批判』は10年ほど前にゆっくり読んだことがある。一人では難しいのでいくつかの社会人講座を聴講しながら2~3年かけてだが、今でも素晴らしい本だと思っている。時間が許すなら、別ブログ「爺~じの哲学系名著読解」に掲載したいけど、どうなるか分からない。
 『実践理性批判』も社会人講座を受けながら読んでみたが、『純粋理性批判』ほどの感激はなかった。『判断力批判』は仲間との読書会で通読したに過ぎなかったが、何か引っかかったままに7~8年程経ってしまった。今回、和光大学社会人講座で一年かけて読む機会に恵まれたので、再度チャレンジしたいと思っている。美しい、という気持ちをもっと感じ取れるようになるかも知れないから。


2017年4月15日土曜日

4月15日(土) ハンナ・アーレント『精神の生活』を気長に読んでます

 アーレントの本は、ちくま学芸文庫の『人間の条件』と『革命について』などを読んで、政治哲学の哲学的根拠について、彼女はもっと知っているのかも知れないと思っていたところ、晩年の作『精神の生活』があることを知りました。というタイミングで、こちらの分野を専門とする先生に巡り会い、仲間とこの本を読む勉強会をさせていもらっています。
 第二次世界大戦、どうしてそんなバカなことを、普通の人はやりたくもない事をやってしまう羽目に、あるいはやらされる羽目に陥ったのか、一応その昔に比べれば現代に近い民主主義の国家同士なのに、という謎を解く鍵を追い求めていくと、最後は政治哲学(政治学)の哲学(人間学)的根拠、言い換えれば日常において人々が共に生きていく生き様に行き着くだろうと思えるからです。但し『精神の生活』という本がどれほどこの期待に応えてもらえるものなのかは、読み終わるまではまだ先が長いから、分かりません(もし孫達が読む気になったら、原書の英語で読んだ方が良さそうですが)。長谷部恭男先生は、アーレントの民主主義に対する考え方には批判的でした。この点はこれからも考えたいと思っています。

2017年4月14日金曜日

4月14日(金) 益川敏英先生の、警世の新書

 益川敏英先生は2008年のノーベル物理学賞を授賞しました。その夜、受賞の感想を聞かれて「たいして嬉しくない」と言っているのをTVなどのマスコミ報道で見て、何でそんなことを言うのだろう?と素直に思いました。
 しかし昨日、フトしたきっかけで先生が2005年に新書で書かれた『科学者は戦争で何をしたか』という本を読んでみたら、先生のへそ曲がりは筋金入りでたいしたもんだ、その心意気は見習わなければならないと、自分の鈍感さに反省させられました。この本の帯には「科学の中立性が危うくなり、研究室も市場原理に左右され、軍事利用技術も活発化しています。加えて昨今の安倍政権の動きを見ていると、危機感は募るばかりです。(中略)私はこれからも地球上から戦争を無くすためのメッセージを送り続けたいと思います。」と書いてあります。
 本書のタイトル『科学者は戦争で何をしたか』という歴史上の負の諸事実は沢山あって、わかりやすいのは兵器への利用であり、極めつきは核兵器でしょう。益川先生は、科学は正と負の両面を持つ諸刃の剣なので、中立性を保たねばならないと言われます。科学の中立性とは、科学がその時々の権力に従属しないということだろうと思います。これは近代の歴史経験から学んだ人類の知恵、新しい概念を示しているのかもしれません。丁度近代の民主政がその歴史から学んだ智恵、権力の分散のように(科学技術はそれだけ人類社会に与える影響が大きいもの、しかも将来的影響の具体的内容は誰も分からないもの、つまり人類史上の民主主義と同じように、となった)。所詮そんなことは出来ないという考えは、この場合には、人類滅亡へと直接に繋がるものなので止めた方が良いと思います。人間は、共倒れで滅亡するような、そのような生き方をから少しずつ逃れ続けて折角今日までやってきたのですから。

 

2017年4月9日日曜日

4月9日(日) 鯨岡峻先生の、臨床発達心理学の本

早くも前回から一週間も経ってしまった。これ以上間が空くと日記ではなくなりそう。
 発達臨床心理学者の鯨岡先生の本を、哲学の先生に教わって五年ほど前に三冊ほど読みました。人間の関係発達を扱ったとても奥深い内容を持っていて、むしろ哲学書だともおもいました。一方ハイレベルの育児書としても素晴らしいと思い、要点をまとめて忙しい娘達に送ってあげようとしているうちに、上の孫が八歳になってしまった。間に合わないかも・・・が、まだ一番下の孫が一歳ちょっとなので頑張ってまとめている最中です。でも読書だけでも五、六冊並行しているから、始めてからもう三ヶ月経ってしまいました。
 因みに昔読んだ鯨岡先生の本は、『保育のためのエピソード記述入門』『子供は育てられて育つ』『<育てられる者>から<育てる者>へ』、です。要点をまとめているのは三番目の本です。もうすぐ出来上がり!のはず。

2017年4月3日月曜日

4月2日(日) 長谷部恭男先生の、憲法の本

 今、長谷部先生の本『憲法と平和を問いなおす』を読み終わりました。結構力を入れて読んだので近々別のブログ「爺~じの「本の要約・メモ」」の方にUpする予定です。1冊目は『憲法とは何か』で、これで2冊目です。
 長谷部先生は憲法学者で、昨年6月に衆議院憲法審査会に自民党推薦で呼ばれ、他党推薦の他の2名の方と同じく集団的自衛権は憲法違反だと言われました。先生の本を読んでみようかと思ったのは、そのことというよりは、日本近現代史の加藤陽子教授が高校生向けに書いた『それでも日本人は「戦争」を選んだ』という著作の中で、長谷部先生の著作『憲法とは何か』で紹介されていたルソーの「戦争及び戦争状態論」という論文(日本語訳は無かったそうです)を知り、「まさに目から鱗が落ちる驚きと面白さを味わいました」、と、書かれていたからです。加藤教授は長谷部先生が「ルソーは、戦争は国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるのだと」述べている、と書いています。補足すれば、長谷部先生はルソーの結論は空論ではなく、そのことは現代の冷戦終結が示していると指摘され、次のように述べています。「全人類を滅亡させるに足る大量破壊兵器をもって,しかも敵対する陣営の消滅を目標として二つの陣営が対峙するとき,終末論的帰結に至ることなく対立を終結させる手段としては、ルソーの描いたもののみが考えられる。」
 長谷部先生の本『憲法とは何か』は昨年11月に別ブログ「爺~じの「本の要約・メモ」憲法とは何か」にupしていますが、要点・メモにしては少し長すぎました。『憲法と平和を問いなおす』の方は、憲法とか平和とかを語るには、その前提である民主主義とか平和主義とかいうものは、そもそもなんであるのか、という原理に焦点を当てて、短くまとめてみたいと思っています。

2017年4月1日土曜日

平成29年4月1日(土) 4月から読書日記を始めました

これでブログは四つとなりました。

①「爺~じの哲学系名著読解
②「爺~じの読書日誌」改め、「爺~じの「本の要約・メモ」
③「爺~じの日本史メモ
④新しく「爺~じの読書日記

①~③はあまり更新できておりませんが④は日記なので原則毎日公開したいと思っています。でも、少し無理かもしれません。日記の中で①~③への登録予定などを書き込む予定です。
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 ところで、すでに「爺~じの哲学系名著読解」に分割掲載したカールマルクスの「資本論」第一巻と第二巻のうち、第二巻の方は「爺~じの「本の要約・メモ」」が相応しいと思って、一括にまとめて掲載し直しました。
 というのは、勢い余って第三巻まで読み進み、それをまとめているうちに、第一巻は一生懸命に読解していたけど、第二巻に入ると自然とメモ風になっていったからです、やっぱしそうだったか(噂では、マルクスが自身で最後まで書いたのは第一巻だし専門の学者でなければここまでで十分と)。でも、古典・名著といわれている本を原著でじっくり読むと、そういう発見があって、また自分の無知が一つ埋められて楽しい経験をすることが出来ました。