自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年4月15日土曜日

4月15日(土) ハンナ・アーレント『精神の生活』を気長に読んでます

 アーレントの本は、ちくま学芸文庫の『人間の条件』と『革命について』などを読んで、政治哲学の哲学的根拠について、彼女はもっと知っているのかも知れないと思っていたところ、晩年の作『精神の生活』があることを知りました。というタイミングで、こちらの分野を専門とする先生に巡り会い、仲間とこの本を読む勉強会をさせていもらっています。
 第二次世界大戦、どうしてそんなバカなことを、普通の人はやりたくもない事をやってしまう羽目に、あるいはやらされる羽目に陥ったのか、一応その昔に比べれば現代に近い民主主義の国家同士なのに、という謎を解く鍵を追い求めていくと、最後は政治哲学(政治学)の哲学(人間学)的根拠、言い換えれば日常において人々が共に生きていく生き様に行き着くだろうと思えるからです。但し『精神の生活』という本がどれほどこの期待に応えてもらえるものなのかは、読み終わるまではまだ先が長いから、分かりません(もし孫達が読む気になったら、原書の英語で読んだ方が良さそうですが)。長谷部恭男先生は、アーレントの民主主義に対する考え方には批判的でした。この点はこれからも考えたいと思っています。

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