自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年4月9日日曜日

4月9日(日) 鯨岡峻先生の、臨床発達心理学の本

早くも前回から一週間も経ってしまった。これ以上間が空くと日記ではなくなりそう。
 発達臨床心理学者の鯨岡先生の本を、哲学の先生に教わって五年ほど前に三冊ほど読みました。人間の関係発達を扱ったとても奥深い内容を持っていて、むしろ哲学書だともおもいました。一方ハイレベルの育児書としても素晴らしいと思い、要点をまとめて忙しい娘達に送ってあげようとしているうちに、上の孫が八歳になってしまった。間に合わないかも・・・が、まだ一番下の孫が一歳ちょっとなので頑張ってまとめている最中です。でも読書だけでも五、六冊並行しているから、始めてからもう三ヶ月経ってしまいました。
 因みに昔読んだ鯨岡先生の本は、『保育のためのエピソード記述入門』『子供は育てられて育つ』『<育てられる者>から<育てる者>へ』、です。要点をまとめているのは三番目の本です。もうすぐ出来上がり!のはず。

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