自己紹介

自分の写真
1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年4月1日土曜日

平成29年4月1日(土) 4月から読書日記を始めました

これでブログは四つとなりました。

①「爺~じの哲学系名著読解
②「爺~じの読書日誌」改め、「爺~じの「本の要約・メモ」
③「爺~じの日本史メモ
④新しく「爺~じの読書日記

①~③はあまり更新できておりませんが④は日記なので原則毎日公開したいと思っています。でも、少し無理かもしれません。日記の中で①~③への登録予定などを書き込む予定です。
---------
 ところで、すでに「爺~じの哲学系名著読解」に分割掲載したカールマルクスの「資本論」第一巻と第二巻のうち、第二巻の方は「爺~じの「本の要約・メモ」」が相応しいと思って、一括にまとめて掲載し直しました。
 というのは、勢い余って第三巻まで読み進み、それをまとめているうちに、第一巻は一生懸命に読解していたけど、第二巻に入ると自然とメモ風になっていったからです、やっぱしそうだったか(噂では、マルクスが自身で最後まで書いたのは第一巻だし専門の学者でなければここまでで十分と)。でも、古典・名著といわれている本を原著でじっくり読むと、そういう発見があって、また自分の無知が一つ埋められて楽しい経験をすることが出来ました。

0 件のコメント:

コメントを投稿