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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年2月13日水曜日

2月13日(水) ハーバーマスは30年経って気付いた、マイノリティーも大衆も捨てたもんじゃない、エライ

クイーンエリザベス
3月3日(日)に仲間の定例読書会で取りあげられているので読むことになった。1962年版を1973年に細谷先生が翻訳したものだが、ハーバーマスを読むのは初めてだが、
読み始めると一つのなが~い文章は意味不鮮明なところが多くて苦労しそうだ。
「1990年新版への序言」のところだけまとめてみた。というのは、ここ30年間で急激に変化した世界・社会が著者の考えに大きな変化を与えつつあることが覗えて、そこだけもゆっくりと読む価値があると思ったからである。



ハーバーマス『公共性の構造転換』(1962年、1990年新版)

1990年新版への序言

「本書が出版されてからおよそ30年を経てはじめて読み返し、修正に取りかかり、削除と補完を施そうとしてみると、そのようなことはしない方がいいことがわかつてきた。<中略>研究がより発展するための刺激となるような最小限の解説を施しておきたい。<中略>私は、今日再び重要になってきている民主主義理論の問題に本書の研究が貢献できるものであるかどうかという点に関心の焦点を置く。」

Ⅰ 市民的公共圏の生成と概念
1
第一の目標は、市民的公共圏の理念型を18世紀および19世紀初期のイギリス・フランス・ドイツでそれが発展した歴史的文脈に基づいて展開することであった。
・ドイツでは、18世紀末までに「小さいが、批判的に討議を行う公共圏」が形成されていた。読書する公衆(都市市民層など)が出現し、読書協会が設立され、政治的平等にかかわる規範を学ぶことが出来た。
・フランス革命が、当初は文芸と文化批判に限定されていた公共圏を政治的なものへと突き動かす引き金となった。それはドイツでもそうであった。19世紀半ばまで、公共的なコミュニケーションのネットワークの機能は拡大し、「社会生活の政治化」を特徴付けてきた。
・ドイツ連邦諸国は政治的公共圏の制度化を阻止しようとしたが、文芸や批評を政治化の渦にますます引きずり込むだけであった。

2
・私は、かつて(⇒1960年頃)公共圏から排除された集団について、フーコー的な意味、つまりその公共圏にとって本質的であるような、狂人と認定された集団については、全く考慮しておらず、サブカルチャー的なもの或いは階級的に特有な集団については序論でしか触れていなかった。
・私は、フランス革命のジャコバン主義段階(⇒1789年のフランス革命後から1794年のジャコバン独裁政権崩壊までの段階)やチャーチスト運動(⇒1830-50年の頃に起こった労働者階級による普通選挙権獲得運動)は「人民的」公共圏の萌芽、抑圧された市民的公共圏の一変種として、重視していなかった。
・しかしその後に、いくつかの優れた研究が進み、(⇒18世紀末から19世紀前半頃にかけての状況について)次のような見解を持つようになった。「文化的にも政治的にも動員され始めた下層民を排除することによって、生成しつつある公共圏は早くも多元化されることになる。人民的公共圏は、ヘゲモニーをとっている公共圏と並んで、またそれに制約されながら、形成されるのである。」
・民衆の排除は、代表具現的公共圏という伝統的な形式の中でも行われていた。そこでの民衆は、支配身分、貴族、高位聖職者、王などが自らの地位を提示する舞台装置であった。
・代表具現的公共圏の類型は、公共的コミュニケーションの近代的形式にとっての歴史的な背景をなすものである。
M・バフチーン(⇒18951975、ロシアの哲学者)の名著に触発されて、民衆の文化の内的な動力学に目を向け始めてからは、民衆の文化は支配階層世界に対する行動的で暴力的な反抗であったことを理解し始め、排除のメカニズムが同時にそれに対する反作用をもたらすのだという複眼的見方が出来るようになった。
・この同じ複眼的眼差しを市民的公共圏に向ければ、男性社会からの女性の排除という状況が新たに見えてくることになった。

3
・本書が刊行された以後にフェミニズム関連の文献が増大して、公共圏自体が持つ家父長制的性格についての我々の感覚は研ぎ澄まされた。問題は、女性が労働者や農民や賤民達などの非自立的男性と同じ仕方で市民的公共圏から排除さていたのかどうかということだ。
・階級社会の諸条件の下では、非自立的男性と女性は排除されているから、市民的民主主義は本質的矛盾を抱えている。私はこの矛盾に対する弁証法をマルクス主義的或いはイデオロギー批判の概念で捉えることが出来ると考えていた(⇒しかし今は違う)。
・私は、社会国家的保障の拡大という流れの中での公共圏と、私的領域との関係の変化を研究していたが、政治的公共圏のこの(⇒ハーバーマスの研究していた)構造変動は、家父長制的性格に手がつけられていない。
・政治的公共圏の構造も、この構造と私的領域との関係も、性差を基準に規定されている。このことは、女性の排除が政治的公共圏にとって本質的なものであることを意味し、非自立的男性の排除と異なって構造自体を創り出すのだ。このようなフェミニズムのテーゼは、キャロル・ベイトマンが1983年に発表して大きな影響を与えた論文で主張したことである。
・市民的公共圏においては、排除された非自立的男性も排除された女性一般も、排除したその公共圏および公共圏の構造自体も内部から転換することができる。

4
・以上の論からも、「市民的法治国家における公共圏の矛盾をはらんだ制度化」という第11節で展開されたモデルは硬直したものだった。(⇒今回は修正していないものの)私がまた本書に立ち帰ってきたのは、かつてはその(⇒市民的公共圏の)意義を過小評価していたからである。

Ⅱ 公共圏の構造転換---三つの修正
1
・「公共圏の構造転換は、国家と経済の変容の中に埋め込まれている。」のだが、かつて私はこの変容を、ヘーゲル法哲学がまず描き、若きマルクスが練り上げ、ローレンツ・フォン・シュタイン(⇒18151890,伊藤博文にドイツ式立憲君主制を薦めた人でもある)以来ドイツ国法学の理論的枠組みとなった、その中で構想していた。
・ドイツでは、自由を保証する公権力と私法に基づいて組織された経済社会との関係についての国法上の構成は、民主主義を欠いたまま法治国家が発展したことに関係している。
・ドイツ独特の遅れについて、ベッケンフェルデ(1930~)は「国家と社会が対立するようになってくると、国家の決定権とその行使に社会がいかに関与するかという問題が生じてくる。・・・国家は、王制、官僚制、軍隊、また部分的には貴族が担っていたのであり、そうである以上国家は市民層によって代表される社会からは組織的にも制度的にも分離していたのである。」と述べている。
・経済的市民が国家公民として、国家権力に対して、市民かつ公民である自分たちの利益を調整し普遍化し流動化して、社会の自己組織化を可能にする媒介となって働くようにと要求するとき、はじめて政治的に機能しうるような公共圏が現れてくる。
*社会の自己組織化にとって何より必要なことは、国家と社会との分離の克服である。
・国法レベルでの国家と社会の分離には、市場を通じて制御される経済が政治支配の秩序から徹底的に分化するという普遍的意義がある。この分化は、資本制的生産様式と国家官僚制が形成される過程において共に発展した。
*その原点はヘーゲルやマルクスが言う、市民社会の自立にある。
・このような発展モデルは、ドイツ諸国に特有の発展からではなくてイギリスの発展から読み取られたものであり、19世紀後半に始まる趨勢の逆転を分析する際に私が下敷きとしたモデルであった。
*(⇒趨勢の逆転とは、国家と社会の分離の方向の逆転だろう)
・私は、国家と社会との分離という傾向が廃棄されていくという事実を、法制上の動向を手がかりにして、一面ではネオコーポラティズム的に《国家の社会化》と概念化し、他面では国家の積極的な介入主義的政策によって生じてくる《社会の国家化》と概念化した。
*(ネオコーポラティズム⇒新協調組合主義⇒主要な行政・経済政策の策定に、関係する各界の利益代表を参加させ、利害の調整を図って政策を実施しようとする手法)
・私は、西欧型社会における、社会国家と組織資本主義との複合的な発展が引き起こした反作用に関心を抱いてきた。その反作用とは以下の三つである。
*私的領域および私的自立の社会的基礎への反作用
*公共圏の構造および公衆の構成と行動への反作用
*大衆民主主義の正統化過程それ自体への反作用

2
・市民社会(⇒18世紀~19世紀)は公権力に対して、全体的に見て私的領域として対置されていた。しかし、19世紀になると下層民の社会的解放や大衆レベルでの政治が始まると共に、この私的領域である市民的な生活世界において、家族の親密圏と就業システムという二つの領域で従来とは反対向きの構造化が意識されるようになった。これについて私は第17節で「社会圏と親密圏の両極分解」として叙述した。
*初期近代の市民社会は職能身分が積み重なって出来ていたが、それとは別に生産機能を免れてはいるが公権力には属さない家族も含まれていた。彼らに共通するものは、私的所有と小家族という親密圏である。
*私的生活領域での細分化された各社会階層は、都市化、官僚制化、経営の集中、労働解放による余暇の増大や大量消費などによって、異なる形で変化していく。
*本書で私が関心を持っているのは、構造変動の個別的な経験的事象では無く、私的領域の地位の変化についての理論的側面である(⇒多分こういう意味だろう)
・国民の平等な権利が普遍化すると、大衆の私的自立は(以前の)私人の私的自立のように自らの社会的基礎を私有財産の処分権に求めることは出来なくなった。
*大衆の私的自立を保障するには国家による地位の保障が必要で、しかもその保障は民主主義的国家の国民である大衆自身が行なう限りにおいてであって、私的処分権のみに自らの社会的基礎を求めることは出来ない
・「かつて本書を執筆していた当時の私にとっては、これはこれで民主的なコントロールが経済過程全体に拡大されてはじめて可能になるように思われたのである。」(⇒それはトートロジーだった、と)
・このような(⇒かつてのハーバーマスの)考察は、法治国家の伝統的な構造と社会国家原理がいかに両立するのかという1950年代の展開された国法学上の論争の脈絡のうちにあった。ドイツ連邦共和国の基本法(⇒19495月)の視野の中では、政治的公共圏は明らかに立法機関の添え物になってしまっている(⇒本書296頁以降参照)。
・カール・シュミット学派は、社会的諸関係の変化を評価出来ていないが、そうかと言ってヘーゲル・マルクス的思考の弱点はすでに露呈されている(⇒ソ連崩壊に象徴される)。
*本書刊行後にハーバーマスはヘーゲル・マルクス的思考から距離をとりはじめてきた
・「確認しておかなければならないことは、機能的に高度に分化した社会は全体の優位性を眼目とする社会構想によっては捉えられない、と言うことである。」

3
・「本書の後半の中心となる主題は、国家と社会との統合に埋め込まれた公共圏それ自体の構造転換である。」
・メディア権力と言う新しいカテゴリーが登場し、「マスメディアを通じて予め構造化されると同時に支配されるようになった公共圏は、権力が浸透したアリーナへと膨れ上がった。」
・このアリーナでの闘いは次のテーゼにまとめられる(本書302頁以降)。
*「社会国家の諸条件の下で機能する公共圏は、自己産出の過程として捉えられなければならない。それは、途方もなく拡大した公共圏の領域の中で、自己自身に向けられた公開制の原理が持つ批判的な働きを縮小しようとする他の傾向と競合するようになってはじめて、徐々に自らを制度化していかなければならなくなる。」
・「文化的習慣の面で階級的な制約から抜け出し、多元的で、内部で非常に分化した大衆からなる公衆がもつ抵抗能力や、とりわけ批判のポテンシャルについて、当時(⇒1960年頃)私は悲観的すぎる判断を下していた。」
*その後に、文化と政治の間の新しい親密圏が出現し、そのこで判断の基準そのものが変わってしまったからである
・「公共圏の構造変動にとってこれ(⇒政治行動の社会学的研究)と同様に重要なのは、メディア研究、特にテレビの社会的影響についてのコミュニケーション社会学的な研究である。」

4
・当時私が批判的公開制の担い手として想定できたのは、対内的に民主化された団体や政党だけだったし、80年代に入っても同じ前提に立って民主主義理論を構想している人もいた。しかし、このモデルは、かつて「多数派の専制」に異議を申し立てて自由主義理論を突き動かした、利害の和解無き多元主義に直面した。
・第15節(自由主義理論にあらわれた公共性の両価的把握―――ジョン・ステュアート・ミルとアレクシス・ド・トックヴィル)で行ったように、公共圏についての把握がアンビヴァレントなものであることを立証しても、それは十分なものではないだろう。

Ⅲ 理論枠組みの変化
・社会国家的な大衆民主主義は、政治的に機能する公共圏の要請を真剣に受けとめる限りでのみ、自由主義的な法治国家の原則との連続性を保っているといえる。(⇒その条件は下記)
*本書301頁以下の叙述にある「組織に従属した公衆が、こうした組織を通じて、公共的コミュニケーションの批判的過程をおしすすめる」ということが、西欧型の社会の中でいかに可能であること(⇒問題が提起された)
・この問題提起によって、私は本書の末尾でふれてはいるが、しかるべく扱っていない問題に投げ返されることになった。つまり、『公共性の構造転換』が以下のようなものであったならば、それは同時代の民主主義理論への貢献は怪しいことになる、という問題である
*互いに競合する多様な利害を止揚(⇒矛盾を克服する考えを創出)して普遍的利害を生み出すことができない
*したがって、公共的な意見(=世論)は、自らの尺度を見出して、そこから普遍的な利益を引き出すことが出来ない
・「その当時私が使用できた理論的手段では、この問題は解決できなかったのである。」理論を前進させるためのキーワードだけでも示しておきたい。

1
・本書の構成を規定しているのは、市民的公共圏の弁証法であるである。
*市民的ヒューマニズムの理想は立憲国家の諸制度に浸透していたが、そうした理想を否定してしまうような現実の憲法の彼方をもまた指し示している。
*市民的ヒューマニズムの理想は、親密圏や公共圏についての自己理解に刻み込まれ、主体性や自己実現、合理的な意見形成や意思形成、個人的および政治的な自己決定などのキーワードによって表現されている。
*市民的公共圏の弁証法は20世紀の《文明化された野蛮》(⇒多分戦争の世紀の意味だろう)によって反駁された歴史哲学の背景的仮定(⇒唯物史観か?)に依拠している。
・この市民的理想(=市民的ヒューマニズムの理想)が後退し、意識が冷笑的になってしまえば人々の同意を要する規範や価値への志向も崩壊してしまう。だからこそ私は、批判的社会研究のより深い規範的基礎付けを提起した。
・コミュニケーション行為理論は、上述した規範的基礎付けの理論であって、次のような特徴を持つ。(⇒制度の研究によって、理念からでは無く、歴史に刻印されている人々の暗黙の合意という経験、すなわちコミュニケーション行為、から読み解こうとする理論か?)。
*日常のコミュニケーションの実践それ自体に備わっている理性のポテンシャルをあらわにするものである
*文化的社会的な合理化の過程を近代社会の境界を越えて溯り、再構成的な手続きによる社会科学への道を開くものである
*制度の中で具体化されていたコミュニケーション合理性の原型となる個々の刻印、すなわち経験を浮き彫りにすることで、公共圏の形成にとっての規範と現実との抽象的な対立を消滅させるものである(⇒この「経験」が市民的公共圏の中で共通な了解となるはずであることを、ハーバーマスのこの理論から示すことが出来ているのだろうか?)

2
・「私が公共圏の構造転換を研究していた当時の民主主義理論への視角は、民主主義的な社会的法治国家は社会主義的な民主主義へとさらに発展するというアーベントロートの構想に負うところが大きかった。」(⇒しかし、その後この考えを修正することになった)。
*社会および社会的自己組織化についての全体性概念が疑わしいものとなった。機能が分化し複雑化した社会(⇒特に経済システムと行政システムに制御された社会)では、社会全体が法と政治権力と言うメディアを介して自己自身へ働きかけるような大きな結社として捉えることは出来ないからである。
・(⇒いくつかの曲折を経た後に)『コミュニケーション的行為の理論』(1981年)において、1967年頃に導入していた<生活世界>の概念と境界を維持する<システム>の概念と結びつけて、生活世界とシステムとしての社会という二段階の構想に至った。しかしこの構想は民主主義の構想に深刻な結果をもたらすこととなる(⇒下記が深刻な結果か?)。
*私は、経済と国家装置をシステム的に統合された行為領域と見なしているが、その行為領域の内部を政治的に統合された状態に転換するならば、そのシステム的な特性を損なってしまうことになる。国家社会主義の破産はその証明であった。
・ラディカル・デモクラシーによる正統化過程の変革が目指すものは、連帯という「社会統合の力」=《生産力コミュニケーション》が、貨幣と行政権力という《権力》(ゲヴァルト)に対抗して貫徹されることによって、生活世界の使用価値志向的な要求を通すことである。

3
・社会統合の力は、ヘーゲルの言う人倫の領域である。しかしそのような力を創り出すエネルギーは民主的手続きという政治のレベルにうまく伝わらない。
*社会統合の力は、ルソー流の誤った意思形成モデルから生じるのではない
*この現代における市民社会では、伝統社会のような確信の同質性は前提できない
*かつては階級毎に想定され得た共通利害も、対等な生活様式が競合する錯綜した多元主義に取って代わられている今では、想定しにくい
*ルソー流の誤った意思形成モデルとは、個々の市民の持つ経験的な意志が道徳的な国家公民の持つ理性的で共通善を志向する意志へと、無媒介的に転換しうる条件を確定できるというもの(⇒権力の正統性としてルソーが提示した「一般意思」は誤った幻想と)
・道徳的な国家公民というルソーの幻想は、市民と公民との役割分担を前提しているが、社会国家はこうした役割の分離を消し去ったために、(⇒ルソーが唱えたような)民主主義的な普遍主義は《普遍化された特殊主義》へと転化することとなった。
・ルソーは道徳を国家公民が身につけるものとしたが、道徳はコミュニケーション公共的コミュニケーションそれ自体の過程の中に根ざすべきものであって、正統性の源泉は、個人に予め決定されている意志ではなくて、その意思が形成される過程それ自体に、すなわち協議にある。
・「立証すべき課題は、<市民の道徳とはなんであるか>という点から、<道理に適った成果を可能にするという推定を根拠づけるべき民主的な意見形成や意思決定の手続きとはいかなるものか>という問題に移ることになる。

4(⇒ここは、本書を読み終わってからでないと何を言っているのかわからないのだろうね)
・「こういう次第で《政治的公共圏》は、公衆が行う討議を通じ意見形成や意思形成が実現しうるためのコミュニケーションの条件を総括するものであり、それゆえ、規範的な側面を内蔵した民主主義理論の根本概念にふさわしい。」
*討議を眼目とする民主主義の概念は、生産的コミュニケーションの政治的利用が、をあてにしているそれには次の二つがクリアーしている必要がある
☆紛争をはらんだ社会的テーマは、当事者たちの共通利害の中で規制されうるのか
☆公共的な議論や交渉が合理的な意志決定に適したメディアであることの明示
・過去20年(1970-1990年くらい)のうちに、ジョン・ロールズ等は、<実践的政治問題は、それが道徳的な本性を持つ限りで、いかにして合理的に決定されうるのか>について議論を行い、解明し、拠り所とすることが出来る十分な根拠があることが明らかになった。私は討議倫理というアプローチを展開して、上記☆印の二番目については回答した
・討議倫理のアプローチには、議論の形式や交渉において充たされねばならないコミュニケーションの前提を明確に規定できるという利点がある。したがってそれは、規範的考察を経験的社会的研究に接続する可能性を開くのである

5
・討議を眼目とする民主主義の概念は、まず規範理論の枠組みの中で明らかにされなければならない。だから問題は未解決である。
*「啓蒙された利己心と公共の福祉への志向との裂け目やクライアント(⇒官僚の顧客として捉えられる国民)の役割と国家公民の役割との裂け目が橋渡しされるように、社会国家的な大衆民主主義の諸条件の下でいかにして討議による意見形成や意思形成が制度化されるのかという問いは、未解決のまま残っている。」
・近代自然法は、この問題に、正統な法的強制力を導入することで答えた
*つまり、コミュニケーション共同体の内部において、現実の社会で発生せざるを得ない選択の強制力の効果を発揮させるために法的手続きが役に立つと
・カントは<法的強制力にとって必要な政治権力は、それはそれでいかにして道徳的に制御されうるのか>という問題に対して、法治国家の理念によって答えた
・討議理論の立場から考えれば次のようなことがわかつてくる(⇒本書を読むと分かるのだろう多分)
*多数決の原則は議論の実践と内的関連を保っていなければならないこと
*既存の制度が持つ規範的意味を討議論的に解読していくと、国家公民のクライアント化を防ぐことのできる新しい制度を導入する道が開けてくる
*法治国家の制度がもつ民主主義的な意味の解読は、社会国家的大衆民主主義で見られるメカニズムについての批判的な研究によって補完されねばならない

6
・民主主義の概念の規範的内容は、公式に構造化されたコミュニケーション過程や決定過程の彼方を指している。国民主権の理念が極めて複雑な社会に適用される可能性は、集団の成員が実際に参加して決定するというような具体的イメージとは一線が画されたものだろう。
*団体の意思形成が責任ある決定となり得るのは、その意思形成の中に、団体を取り囲んでいる政治的コミュニケーションの中で自由に漂っている価値、主題、論考、論拠がその団体内に入りこみ続けうる場合だけである
*討議理論を根拠として道理に適った成果を得るには、制度上構造化された政治的意志決定と自発的コミュニケーションの流れの連繋が基礎となる
・普遍化された特殊主義は、国民主権が手続き的に捉えられれば予防することが出来るし、国民主権も主体のいないコミュニケーション形式の中において具体化しうるし、国民主権が手続きに解消されるなら、1789年の革命以来真空であった権力の象徴的な場所は、民族や国民のような新たなアイデンティティーを担う象徴によって埋め合わされ得ない。
*主体のいないコミュニケーションは、国民主権の意思形成や意思決定の誤りの可能性を否定せず、また正統であることを推定可能に制御できるもので、主権はその中で流動化している
*コミュニケーションの中で流動化した主権は、公共的討議が持つ権力によって真価を発揮し、社会全体にとって大事な主題を発見し、さまざまな価値を解釈し、問題解決に寄与し、根拠を引出また斥ける
*討議は支配するのではなくコミュニケーション権力を産出し、コミュニケーション権力は、官僚機構に「包囲攻撃という様式」で働きかけるが、官僚制度が持つシステム的な特性に取って代われない


Ⅳ 市民社会あるいは政治的公共圏
・「このように前提を明確に規定しまた変更した上で、ようやくわれわれは政治的公共圏の記述という課題に立ち帰ることが出来る。」
*(⇒前提や明確化されたものとは、歴史的事実と西欧近代思想の流れの批判的総括、現代の多元的で複雑な社会における民主主義の理念の現実性に関する諸問題など)
・政治的公共圏では大きく二つの過程が交叉する。それは「正統的な権力のコミュニケーション的生産の過程と、大衆の忠誠・需要・システムの命令への服従を調達するためのメディア権力の操作的な使用の過程」である
*「二つの過程が交叉する場所こそ、公共圏の構造転換と、コミュニケーション的行為の理論によって生活世界の合理化として把握される長期的な趨勢の間の円環が閉じる地点なのである。」
・「本書の中心的な問題提起は、こんにちでは《市民社会(Zivilgesellschaft)の再発見》という標題のもとに議論されている。」(C・オッフェのアソシエーション関係という概念など)
*「リベラルな政治文化も大切だが、交通と組織の仕方や、権力が浸透していない政治公共圏を担う者達によって制度が作られることの方がもっと重要である。」
*ヘーゲルやマルクス以来の市民社会(societas civilis からbürgenliche Gesellshaft)への翻訳とは異なり、市民社会(ツイヴィール)という語には労働市場・資本市場・財貨市場を通じて制御される経済の領域という意味は含まれていない。《市民社会》の制度的核心をなすの、自由な意志に基づく非国家的・非経済的な結合関係(例えば、教会、文化サークル、学術団体、政党、労働組合、等々の結社)である。
・市民社会(ツイヴィール)という概念の株価が上昇しているのは、国家社会主義体制の批判者による全体主義批判の影響が大きい。
*特にハンナ・アーレントによって、コミュニケーション的な理論を背景として把握された全体主義の概念の影響は大きい
*アーレントの概念を下敷きにすると、市民社会(ツイヴィール)において結社(アソシエーション)が傑出した理由がよくわかるようになる
*東欧や中欧での革命的変化(⇒ソ連崩壊前後の状況だろう)はこのことを裏書きしている。革命を先導したのは、教会、人権擁護団体、エコロジーやフェミニズムの目標を追求する反体制サークルなどの自発的結社だった
・西欧型社会においては東欧や中欧とは事情が違っていて、別の問題生じている。つまりそこでは自発的な結社は民主義的な法治国家の制度的枠組みの中で設立されるから、<マスメディアの意のままになっている公共圏が市民社会(ツイヴィール)社会の担い手に対して、メディア権力と渡り合うチャンスを認めるのだろうか?という問題である。
*この問題の分析には、『公共性の構造転換』で展開された<政治的に機能する公共圏>の概念が役立つ
・「電子メディアが単純な相互行為の構造の変化に及ぼす影響を主題とした独創的な研究に注意を喚起して、この序言を閉じることにしよう。」(⇒テレビだけで無くSNSによる交信が極めて発達した現在において、この視点の研究はますます重要になるだろう)
・われわれの社会は、最も原始的な狩猟採取社会に似ている。つまり、分け隔てられた社会領域を維持することが困難であるために、社会の構成員の役割が分化されずに、誰もが自分以外の仕事にかかわってくるという意味においてである、
1989年の出来事はこれを確証した。テレビが、広場や街頭デモに参加している生身の大衆の姿の映像情報を、全世界へと拡散することではじめて革命的権力を発展させた
・電子技術の発達は、現代の生活世界の中に分化や構造化から逸脱する動きをもたらしているが、そのことはまた、公共圏が持つ民主主義にとってのポテンシャルがアンビヴァレントなものであることも表している
*公共圏は、マス・コミュニケーションの電子化によって、その下部構造(⇒主権者かつ公民である大衆)に選択の強制力の増大がもたらされるという脅威にさらされる
・「したがって、次のように言っておこう。もし今日もう一度公共圏の構造転換の研究に取りかかったとしても、それが民主主義理論にとってどのような結果をもたらすであろうか、私にはわからない。―――あるいはそれ(⇒研究)は、かつての最初の研究(1962年頃)と比べて、あれほど悲観的では無い評価を下し、反抗的な単なる要請に終わるのでは無い展望を示すきっかけとなるのかも知れない。」(⇒そういう希望の根拠は示されていないが)


「本書の中心的な問題提起は、こんにちでは《市民社会(Zivilgesellschaft)の再発見》という標題のもとに議論されている。高度に分化した生活世界やその反省のポテンシャルの《受容力》については、大まかな指摘では不十分である。そうした指摘は具体的なものでなければならないし、それも単に、社会化の規範や文化的伝承に関してだけ指摘しても始まらない。」




2019年2月10日日曜日

2月10日(日) 資本論 第2巻を一括して移設し、第3巻の一部をアップロード再開

 資本論 第2巻(資本の流通過程)を一括してへ移動し、第3巻(資本主義的精算の総過程)は篇毎に分けてアップロードを再開し始めた。掲載先は別ブログ「爺~じの”名著読解”」の方です。
⇒ https://gansekimind-dokkai.blogspot.com/2019/02/2.html

 第2巻の方は、概念の展開より数式化可能な理論の展開なので、箇条書き風にして一括しまとめることが出来たけど、第3巻の方は律儀なエンゲルスの性格もあると思うが、文章が捨てがたく重複している感じなので、短くまとめるのを断念した。一年近くも中断していて、ここいらで決断しないと一生終わらないことになりそうなので。
琵琶湖の夕日

2019年2月9日土曜日

2月7日(木) 酒井直樹 なんで今まで読まなかったの?

南紀白浜の夕日
昨日までの旅先での空き時間に読んだのが、『歴史と方法4』(青木書店、2000年)に掲載されていた「戦後歴史学を総括するために 日本史と国民的責任」と題した20頁ほどの文章だった。こんな素敵な人の本をどうして今まで読まなかったのだろう(一応積ん読はあったが)、それは私がアホだからだが、何故旅先に持っていったのかというと偶然だからだ。偶然と言っても、読む理由が二個も重なったからである。一つは、読み始めた岩波講座『日本歴史』(近現代Ⅰ)で吉田裕さんが肯定的に取りあげていたからで、もう一つは先日ヘーゲル哲学者の野尻英一さんから、酒井さんをお招きしたシンポを開催すると教えてもらったからである。関係ないが酒井さんは私と同い年、何という違い!。

この本からのほんの一部の抜粋だけを以下に掲載しておく。

「日本史研究会のご招待を頂き、とても感謝を感じています。私は奇妙なことに、日本史という分野でも仕事をしてきましたが、日本史における私の仕事は「日本史」という学問分野の成立そのものを問うこと、「日本史」という学問がなくても私たちは歴史家として、研究者としてやっていけるのではないか、という可能性を提出することにかかわってきたからです。」

「戦争が終わった後に生まれた日本人であったとしても、私は日本人としての戦争責任から逃れられません。自分が責任を問われてもおかしくない立場にあることは、恥の感情として私を襲うでしょう。恥は私が恣意的に左右できるような感情ではありません。それは、社会的客観性を告げ知らせる感情なのです。」

「戦争犯罪者を日本国民の中から、はっきりと、突き出すことです。日本人の内実を大きく変えていくためには、日本人を統合するするどころか、日本人の即自的な共同性に分裂を持ち込むことが必要なはずです。」

「十八世紀の啓蒙以来、歴史学と批判意識は密接な共存関係を持ってきました。われわれの知識や判断力に内在する限界を見きわめ、人間理性の為しうることと為しえないことをはっきり見きわめ、理性の越権を抑制することから批判意識は出発しました。啓蒙は、そのような批判意識を歴史学の中にも持ち込んだと思います。しかし、今日、批判意識はもはや、人間理性の限界を問うよりも、歴史実践的な批判に向かい、いかにして、われわれがわれわれ自身から逸脱し他者と横断的な関係を創り出すことが出来るか、という問題を巡って展開しているように思えるのです。」