自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2020年1月7日火曜日

1月7日(火) 『国際法』 大沼保昭著

しばらく旅に出かけるので、その前に一つくらいは書いておこうと思って。

ジャスミーナ
国際法については殆ど無知だったので少し知りたいと思って読んでみました。大河ドラマで坂本龍馬が万国公法じゃー、とか叫んでいたのを思い出しますが、現代ではどうなっているのだろうかと。
 現時点において国際法として存在するルールとその中身や、そこに至るまで歴史の知識は、国際関係を自分で考えてみるためには必須であることはよくわかります。細かく知るのは必要に応じててよいことも理解できます。
 ここでは読後の感想を一つだけ書いておきます。国際法の世界においても、争いごとの解決や防止に大事なことは、力ずくではなくて話し合いによってルールを定め、それを守ることができるような状況を作り出すということなのだ、ということです。人間社会は長いこと掛かって、永遠に十分とは言えないかもしれないとしても、「法治国家」を作り上げてルールの決め方や守らせ方を工夫してきました。ここで、守らせ方は力ずくであるほかはない、と考えることは現実を直視すれば間違いとは言えないでしょう。しかし、国際法においてはこの考えは効力を激減させ、結局より根本的原理、つまり平和共存には人々が話し合いによって、内的強制力を持ち合うほかはないのだ、更に長い時間をかけて、共に亡びる前に、と感じました。