自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2021年11月10日水曜日

11月10日(水) 上垣内憲一『暗殺・伊藤博文』犯人は安重根ではないかもしれない。

 何しろ証拠薄弱、疑問山積、動機はやまほどある・・・。
ハイビスカス

 このテーマで上垣内憲一さんの著書を読もうと思ったのは、知人から紹介されて先日はじめて読んでみた『雨森芳洲』(中公新書)の記述から、著者の緻密な誠実さが伝わってきたからであった。

 この事件は、単なる歴史の一コマではないのに、どうして事実を真剣に調べることに抵抗があるのだろうか?近現代史であればあるほど「政治的バイアス」があるからだろう。だが、噂ではなくまずは事実を大切にするという感性はとても大切だと思う、特に民主主義においては。

 伊藤博文の暗殺犯は一般に流布しているような安重根ではないかもしれない。なぜなら、驚くべきことに、採取可能であったはずの直接的証拠も信憑性のある間接的資料も残されてはいない。

 推定される動機は二つある。一つは当時の支配者であった日本国政府に対する被支配者であった朝鮮国の人びとによる抵抗である。安重根説はこちらに属するから、彼は韓国では英雄として位置づけられ、そう教えられているらしい。

 しかしもう一つの動機がある。それは、当時の東アジア情勢をめぐる、日本政界の最高実力者で朝鮮総督歴任者(だから暗殺対象者となった)である伊藤博文と日本陸軍との路線対立である。こちらの場合で可能性が高いのは、当時世界トップクラスの謀略工作の専門家で、日本の韓国憲兵隊長明石元二郎少将(過酷な朝鮮弾圧で知られている)の指揮の下でこの暗殺が遂行されたのではないかというのが著者の説である。

 明治維新以後の40年間ほどの間に、日本国の対朝鮮・清国・ロシアの外交政策は、日清・日露の二つの戦争を挟んで次第に軍事力に依存するようになっていった。維新の立役者が次第に亡くなっていくなか、元勲の一人であり当時の最高指導者であった伊藤博文は、当然、日本国の運営方針に深く関わっていた。政界NO2の山県有朋を最高指導者に頂く日本陸軍勢力は、伊藤暗殺の翌年に実行された韓国併合も、対ロシア政策の要としての満州地域支配の手段であると考えており、一貫して外交を重視する伊藤の存在はこの政策実行の大きな障害となっていた。

 アメリカのケネディ大統領暗殺に関する一連の事件も深い闇に閉ざされていると多くの人が感じている。伊藤博文暗殺事件の真相の究明は今となっては困難かもしれない。しかし、ここ20年くらいの日本の政治状況を見ると、この暗殺事件は、歴史が今の社会に鳴らす警鐘のように聞こえるのは考えすぎだろうか。国家における諸権力の都合による事実の隠蔽という意味で。

2021年10月23日土曜日

10月23日(土) 『超加速経済アフリカ』(椿進著 東洋経済)を読んでみた

パスカリ
 本書はアフリカ経済のイメージを根底から覆すものであった。アフリカの広さは中国やアメリカが何個も入るほど広大で、気候は避暑地(軽井沢とか)のように心地よく、平均年齢は二十歳で、経済は半世紀ほど前の日本である、とデータを提示して著者は言う。

避暑地みたいとは、人が沢山住んでいる大きな都市は高地にあるからといわれれば、確かに人類発祥の地アフリカだもんね、と思うし、平均年齢が二十歳なのは近年各種途上国援助で幼児死亡率が激減したからとなれば、なるほど、と思う。

しかし、経済が1970年位の日本と同じくらいの水準(ひとりあたりのGDP )だというのは、にわかには信じられないがデータはそうなっている。もちろん、50カ国以上もあるそうなアフリカの各国ごとに事情は異なるにしても、半世紀ほど前のアフリカと言えば、それまで植民地であった地域が第二次大戦後に形は独立したが統治は不十分で国家間の関係も不安定、内戦・飢餓・疫病等々で悲惨な状況にあって、政治・経済は世界に対してさしたる影響を及ぼしてはいないと、思い込んでいた節がある。日本が30年も経済停滞している間に、世界のグローバルな交流はアフリカの諸国家を現実に変身させつつある。

世界のグローバルな交流が劇的な変化を可能にした理由の一つは技術にあった。間を飛ばして、端的な例をあげれば、庶民が貨幣ではなくスマホで暮らしていることだろう。砂漠の遊牧民もスマホで購入し、海外で働いて得たお金を家族に送るのにもスマホですることができる、つまり銀行がなくても貨幣を持っていなくてもスマホさえあれば庶民は暮らせる。なぜそんなことができるのか、それはアフリカ社会には既得権がないから先進技術が実現できるのだと。

外国の投資については、中華人民共和国が一帯一路がらみのインフラ投資などでダントツ、欧米諸国も先端技術の実験場としても、将来をにらんでそこそこの投資を始めているが、日本は圧倒的に少ないとのこと。欧米は植民地であったアフリカとの繋がりで有利かもしれないが中国はそうではないし、以前の日本は相対的にはそれなりの投資をしていたらしいから、やはり失われたうん十年はここにも現れているのかもね。

2021年10月17日日曜日

元禄・享保時代の朱子学者「雨森芳洲」ってスゴい。その思想は、まるで古代ギリシャのイオニア自然哲学者達みたい

 『雨森芳洲 元禄享保の国際人』(上垣外憲一著、中公新書 1989年)

つるヒストリー

12月に歴史の会で対馬に行くので参考にと、植村さんが教えてくれた本。寛文8年(1668年)京都の医者の息子として生まれた雨森芳洲は、京都で儒学を学び、15歳で江戸に出て木下順庵門下生として朱子学を学んだ俊英で、21歳で対馬藩に仕えてから88歳で没するまで生涯そこで過ごした、いわば歴史に埋もれた一学者であったと言えるだろう。しかし、実は日本思想史上希有な普遍的思想家・哲学者あった。著者の上垣先生は比較文化・朝鮮交流史の専門家で、芳洲の生涯、基本思想、施策、エピソードを見事に紹介している。

芳洲は、長崎で唐語を学を学び、30歳で対馬藩朝鮮方佐役を拝命し、当時は殆ど無かったネイティブな朝鮮語を学び、1711年と1719年には朝鮮通信使に随行して江戸を往復して日朝外交上重要な役割を果たしていた。しかし、1721年53歳の時にいろいろあったようで朝鮮方佐役を辞任する。その後、30年以上にわたって著作や教育に従事し、82歳から和歌の勉強を志して古今和歌集を1000回読むことをきめて84歳頃にこれを達成した。

対馬ははるか昔から朝鮮と日本の間の関係をとりもってきた場所であり、江戸時代においては、長崎の中国・オランダ貿易、薩摩の琉球貿易と並んで、公認貿易の拠点であった。将軍家宣の時代に幕府に登用されて政策の要をになうこととなった著名な新井白石は11歳年長の同門であったが、雨森芳洲は、対馬藩に仕える語学堪能で便利な外交専門家として重用されるだけであった。しかし、芳洲は、江戸や長崎など日本の中だけで漢学等の学問を学ぶだけではなく、朝鮮外交という仕事を通じて朝鮮・中国などの異文化の人びととの政治・文化・経済的な交流をすることによって、人間・社会に対する深い考察を行った思想家であった。

文化の異なる人びとが、現実の要請に応じて行ってきた交流・交渉の経験が、国や民族を超えて人間一般に通用するような普遍性のある思想を生み出した、希有な日本人の事例であったと言えるのだろう。丁度古代ギリシャにおけるイオニア自然哲学者達のように。

2021年10月13日水曜日

プラトン『パイドロス』 恋することの本質はなんだろう?


サハラ
『パイドロス』は『饗宴』と並んでプラトンの恋愛論が展開されている代表的な作品と言われています。

ここでは、恋することの本質が表現されている箇所のいくつかを抜粋してみました。もう少し詳しくは、下記のブログを参照してね。

『われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気とは、神から授かって与えられる狂気でなければならないけれども。』

『この恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられるということだ。その証明は単なる才人には信じられないが、しかし真の知者には信じられるであろう。』

『この話全体が言おうとする結論はこうだ。―――この狂気こそは、全ての神がかりの状態の中で、みずから狂う者にとっても、この狂気にともにあずかる者にとっても、もっとも善きものであり、またもっとも善きものから由来するものである、そして、美しき人たちを恋い慕うものがこの狂気にあずかるとき、その人は「恋する人」(エラステース)と呼ばれるのだ、と。』

『翼もてるエロース そはまこと 死すべきものどもの呼べる名なり。されど不死なる神々は、これをプテロースとこそ呼べれ 翼(プテロン)おいしむるその力ゆえに』


爺~じの哲学系名著読解: パイドロス プラトン著 (藤沢令夫訳 岩波文庫) (gansekimind-dokkai.blogspot.com)

2021年9月30日木曜日

9月30日 白井聡『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』

ピース
 著者の問題意識は、東西冷戦が終わって世界政治の構造が劇的に変化しているにもかかわらず、戦後の我が日本国においては、相変わらず奇妙な自主的対米従属関係を継続している理由は何だろうか?ということだろう。『永続敗戦論』(2013年、太田出版)で述べられているそうな、いつまでも敗戦を認められない人たちが現実を肯定するには、そうするほかはないということなのだろう。おまけに、その後小泉政権以降には、米国発の新自由主義の流れのなかで顕著になってきた再格差社会が、この日本社会においても益々それを不安定なものにしている状況が付け加わっている、と。ここで〈再〉と書いてあるのは、はじめのはご存じマルクスが怒っていた時代のこと。

浅草柴又の寅さん風の台詞がはいっている面白い記述があったので、その部分を以下に抜粋してみた。いろいろ書いてあったけど、結局本書の紹介には一番良さそうだったので。

・右傾化や劣化した反知性主義が広がるのと同時に、生活実感に裏打ちされた考え方・世界観を持っていたかっての庶民1は、小泉政治以降(いや、もっと前からかもしれませんが)庶民2に変質したわけです。

・彼等(庶民2)は、安倍首相が言う「世界で一番企業が活躍しやすい」場所が実在すると信じてしまうような庶民です、寅さんならば、「そんな場所あるわけねぇだろ。経済学者さんていうのはそういうのがあると仰るのかい。へぇー、よくわかんないねぇ。お前、さしずめインテリだな」といって済ませるはずです。私たちは、寅さんのような健全な常識に基づく考え方、ものの見方を失ってしまったのです。」


2021年8月14日土曜日

8月14日(土) プラトン『ラケス』

 
カラー
  昨年の1月にハワイ島で波の音を聞きながら楽しく読んだ、西研さんの『哲学は対話する』を大胆にも箇条書き風に纏めてみようと思って失敗した。それから一年後にリベンジを目論んでダイジェストを作成中。ということで、第四章「~とは何か」の問い『ラケス』まで来たところ。で、今一度原典を読んでみた(読んだのは岩波の『プラトン全集7』に収録されいたもの)。

  本書の主題は「徳」の一部である「勇気」とは何か、についてのソクラテス(プラトン)の考えが書かれている作品。でも勿論例によって、はっきっりと「勇気とはコレです」とは書かれてはいなが、何か「よい」と呼ばれるものは「生における価値」を知っていてこそのもので、それが「徳」のひとつである「勇気」にとって一番大事なものだと言うことはよく伝わってくる。『哲学は対話する』での西さん言い方の理解が深まりました。 

  さらに、色々な箇所においてプラトンの初期対話篇に共通する考えが散りばめられ、また想起説風の説明が「多分分からないだろうが」といいながらなされていたり(『ラケス』ではホントに読んでもワカラン説明だが、『パイドロス』を読むとプラトンの考えのイメージがもう少し分かると思う)、市民は兵士として戦う(具体的にはカルタゴやスパルタとの戦争が日常手あった)ことが仕事であったとか、息子たちの出世を願う親心とか、当時のアテネ社会の有様が面白く描かれていたりして、プラトンの文才も本書でも堪能出来ます、短いし。

2021年8月11日水曜日

8月10日(火) デービッド・アトキンソン『日本企業の勝算』

東洋経済新報社Kindle版(2020/4/9アップロード)で読んでみた。

希望
 いつの間にか著者が管首相のブレーンとなっていて、有る意味ナルホドと。というわけで本書を読んでみようというわけでもない。2015年頃にアトキンソンさんの『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』という本を読んでみて、その生き方と経済社会を見る合理的な考え方が面白くて、記憶にあったことが背景にある。

 本書の趣旨と結論とその結論に至るロジックは極めて明快。趣旨は、先進国の中でも高齢化が加速する日本はこのままでは経済的衰退・敗退は必至なので、その立て直し方法を提示すること。結論は「人的資源×生産性向上×企業成長」を実現するしかなく、具体的には企業の規模を大きくすること。ロジックは簡単な経済学を普通に使用すること(=思い込みや個別事情に左右されず、データにもとづいて論理的に考える)。

 なにしろ著者はオックスフォードで日本学を修めた知日派+日本びいきで、卒業後いくつかの金融会社を経巡った後、日本の不良債権問題を指摘しバブル崩壊に警告を発し、しかも誰にも聞いてもらえずそれが的中したことで一時有名になったゴールドマンサックス日本駐在アナリストであり、それから暫くしてお金も貯まったことだしマネーゲームに愛想尽かして(これは私の推定)茶道かなんかに凝っていたら、国宝・重文なとを修理することを生業とする、伝統があって潰れそうな建築屋さんに頼まれて社長を請け負い、実に合理的だが実行はできないと皆が思っていた方法(年齢の高い腕利き職人の給料を減らして若い人に回した等々)を当事者ととことん話し合って納得ずくの上で実行し、見事立て直した人なのだ。今でもそこの社長さんやってる。

 人的資源の向上は、量と質の両方で、日本においては特に経営者に求められること。就職後においても高等教育でスキルアップしたり、企業数を減らして的確な経営者が経営する、等々だが、日本社会の諸事情はそうなってはいない。生産性向上は人口当たりの付加価値の向上だから、極単純化すれば一人当たりの収入(利益+給料)を上げることが根本的に大切なこととなる。ここは民間(特に経営者)の意識もさることながら、政策も大事。非正規雇用等々はその対極思想に基づいた政策。企業成長は、グローバル化した世界での企業競争で勝つことでしか達成出来ず、そのためには力が必要で、力とはお金と知識と情報とetcが必要で、結局規企業規模が大きくなければならない。これは世界で公表されている経済データを冷静かつ真面目に読めば分かることである。提言例⇒中小企業庁を企業育成庁とせよ(ひとかどの大人にならないと世界で生き抜けない、と)。

 高齢化先進国の日本は、その問題点を最初に解決しなければならないという点において先進国になることができる、と著者は確信しているらしい。そう励まされると、ワクワクした気分になってきた気がするかも。






2021年8月7日土曜日

8月7日(土) 斉藤幸平『人新世の資本主義』

 マルクス研究の世界的権威であるそうな「ドイッチャー記念賞」を、2018年に歴代最年少で斉藤幸平さんが受賞した作品が『大洪水の前に』(2019年、堀之内出版)。本書『人新世の資本主義』(2020年10月、集英社新書)はその後斉藤さんが未公表のマルクス史料(MEGA)などを研究して発見したマルクスの「脱成長論」と呼ぶべき論をもとに書き加えたもの。『大洪水の前に』はまだ読んでないので、これから読もうとは思っている。

ヨハネ・パウロ2世
若きマルクス経済学研究者による透明な視点は、マルクスと言えばマルクス主義というイデオロギー的に捉えられた先入観により曇らされきた部分に犯されず、フッサール風に言えば、そのイデオロギーをエポケー(先入験をカッコに入れて判断停止する)して捉え直すことも可能にしているのかもしれない。折しも、仲間と3年ほどかけて『資本論』全巻を再読してからそう年月が過ぎていないこともあって、著者の言うマルクスの「脱成長論」というものが、資本論後のマルクスがそれまでの論理の前提の多くの部分を否定しながら構築していった動機や理論の本質には素直に賛同してしまう。斉藤幸平さんの力作に感謝。

簡単に言えば、現代が直面している地球環境問題、あるいは資源・エネルギー問題、あるいは気候温暖化問題(より本質的には気候変動問題)の元凶は、資本主義に基づいた経済の仕組みにあるから、これを別の経済に、しかも短期間に移行させなければならず、この別の経済がどのようなものであるかをマルクスは資本論を土台にして「脱成長コミュニズム」として提示している、というものだ。この新時代のキーワードがいくつかあって、経済的には「脱成長」、社会的には「アソシエーション」や「コモン」、政治的には「コミュニズム」(これは古いイメージで捉えるとダメ)。マルクスが「脱成長」を唱えていたとはね。資本論は、資本主義が資源・労働・人間を収奪しながら経済成長を続けなければならないという本質をもつのでどんどん膨張していくが、やがて限度を迎え(資本は剰余価値を生み出せなくなる、という限度⇒「利潤率の傾向的低下法則」)滅びる、という経済理論を立てた。修正したり外部から収奪して滅びる時を延長しても原理は同じ。現代は「人新世」と呼ばれるような新たな地質学的時代区分相応しい時代(人間が出現してくる地質学的区分はわざわざ新生代第四期と名付けられているが、その第四期の最終段階を「人新世」と呼んで区分しようとしているらしい)を迎え、否応なしに、「脱成長」しないと滅びるから、はやりのエコ社会とか、SDGsとかやってる場合ではないと著者は言う。それらはマルクスに言わせれば「アヘン」だと。マルクスは資本論第一巻で本源的蓄積の前提に自然の収奪をおいてはいるが、それが資本主義生産体制崩壊の不可避の要因とはいっていない。現代がそこに来ていることを、実は資本論後にマルクスは予言していたと。

2021年8月5日木曜日

8月5日(木) 南方熊楠とはどんな人?

明治時代に粘菌の研究などで世界でも認められた天才ということは知っていたので、どんな人かと『南方熊楠-日本人の可能性の極限』(唐澤大輔著2015)を読んでみた。現代日本ではこのような人は生存出来ないかもしれないことは、世界にとっても不幸なのだろうな-。
快挙

 徳川幕府の最終年に比較的裕福な家に生まれ(1867年生)昭和の時代まで生きた(1941年没)この天才的研究者は、研究への没入状態は尋常ではなく、自分と自然との境界区分が曖昧であった。

 多国語を操り、古今東西の文献を写筆しつつ漁読し、粘菌や植物などを各地で蒐集し、米英を放浪し、研究拠点にしていた大英博物館から追放され、英国の著名な自然雑誌ネイチャーに夥しい投稿が掲載され、帰国後は那智の野生に棲み、かろうじて人間自体からの逸脱を避けつつ七十数年存在し続けた。

 自作の曼荼羅世界を考出し、民俗学では、バックグラウンドが対極にある柳田国男をして感嘆せしめるとともに必然的別離となり、生涯を在野で、大酒飲みでトラブルに事欠かずの人生を送った奇人。本人は地位も金も求めず、従ってそれらはなく、それらを持っている人が熊楠をこの世で生かし続けた。

2021年5月3日月曜日

5月3日(月) NHK100分で名著『資本論』(斉藤幸平)

パパメイアン
 NHKのこのシリーズで、カール・マルクス著『資本論』がどう紹介されているのか興味があったのでkindle版で読んでみた。わかりやすく簡便に名著を紹介するという本シリーズの主旨に則って書かれている本書において、先ずはじめに浮き出てきたキーワードの一つがマルクスの「物質代謝論」であったのには、おやっと思った。多分、著者の社会思想の軸足がここにあったのかもしれない。なので、著者が書いた「新人世の『資本論』」という本を読んでみようと思っている。

資本論を構成する基本概念である「富」「商品」「使用価値」「交換価値」「労働」「労働力」「労働時間」「剰余価値」「資本の運動」などについての解説が簡便に為されて、大部であるこの名著全体の概略も紹介されている。ただ、資本論の「労働日」や「機械と大工業」などの章で示されている事例よりも、現代の身近な事例を引いて行われているので、読者にとってはわかりやすいとしても、人びとの生活・経済の悲惨な歴史的事実から読み解かれている「資本主義的矛盾」に対するマルクスの怒りの気持ちの方はあまり伝わって来ないが、それも仕方がないだろう。

参考になったのは、「MEGA」と呼ばれるマルクスに関する国際研究が進んでいて、その成果が公開されはじめている、という部分と、『資本論』第三巻の草稿からの次のような引用でした。<資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能か形で制御することだ>。ここで著者によれば、アソシエートする、とは共通の目的のために自発的に結びつき、共同する、という意味だそうです。マルクスは、このアソシエートする条件についてはどう考えていたんだろうね。




2021年3月7日日曜日

3月7日(日) 『強毒性新型インフルエンザの脅威』

クイーンエリザベス
  2006年に出版された本書は、鳥インフルエンザ(H5N1型ウイルスによる鳥のインフルエンザ)が鳥から人へ感染した事実に基づいて、もしも人から人へと感染症になったとしたら、人類にとって極めて重大な脅威になるだろうと警告している。が、そうならないための本質的提言はない。

 考えられる本質的提言とは、例えば、国際的規模で、動物間で感染しているウイルスやワクチンの研究促進すると同時に、その結果得られたリスクの高いウイルスの自然宿主をワシントン条約(CITES)の対象種とする、というアイデアなどはどんなもんだろうか?

2021年1月25日月曜日

1月25日(月) 『感染症の日本史』磯田道史著 文春新書kindle版

モッコウバラ
 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が世界的に蔓延して1年ほど経過する。感染症が社会に大きな影響をもたらすことは誰でもそう思っていても、どのくらいなのかについてはなかなか理解されていないと思う。このことについては、ジャレド・ダイヤモンドという人が書いた『銃・病原菌・鉄』を読んだときにナルホドと思ったが、今回は、NHKの歴史番組「英雄達の選択」だったかな、の司会をしている磯田さんが書いた本書を読んでみた。

本書は、学校で習う歴史とは違って、一般人が感染症に罹患した史実を学ぶことによりCOVID-19被害防止に役立てることを目的に書かれている、と冒頭に記されている。つまり、一般人の史実という細部に、一般人に役立つ歴史の内実が宿っていると。磯田さんは歴史家なので、感染症の被害防止に役立てる知恵には医学的(自然科学)なものと、もう一つ歴史的(社会科学)なものがあり、正体のわからないものに対しては後者の知恵を生かすことが大切だ、と述べている。つまり、例えば今回のcovid-19のように、その正体が不明な部分があるときには、科学的証拠と追求するだけでなく、歴史や別の場所(外国とか)での経験を素早く役立てる(真似するとか)ように行動することが大切だと。もっとも、この点については、科学の本質も経験にあるので、covid-19に対する日本政府の対応を批判する根拠としてはちょっと弱い感じ。

採り上げられている史実の出典は、古文書を含めた諸文献と、既出の優れた著作の引用があって、前者は「歴史は細部に宿る」という著者の考えに基づいたお得意の古文書類で、後者は著者の師匠で、数値データを根拠にその背後にある史実を暴き出すことで著名な速水融先生の著作『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店20062月)』を筆頭に、興味ある本が沢山紹介されている。詳細はここでは省略するが、本書の内容の骨子は次のようなものとなる。

日本においても古代から感染症に襲われており、それが社会に甚大な影響をもたらしてきた。その対処法が「おまじない」から急激に合理的なものに変化したのは近世(江戸時代)になってからで、その知恵には当然限りがあるとしても驚くべきものがある。感染防止のためにいろいろな知恵が実際に効果を発揮した理由は、人びとが身につけてきた生活態度に負うところが多く、時の政府(藩レベルでの例外はあったが)の政策ではなかったことは明治時代になってからも同じであった(今でも基本的に同じという感じ)。人命救助と経済政策の両立問題はいつの時代も生じていたが対処方法は時代と地域で違っていた。100年程前に世界的に猛威を揮い、日本でも内地(現代の日本とほぼ同じ領域)だけでも45万人ほどの死者を出したいわゆるスペイン風邪(今は、それがインフルエンザの一種であることが判明している)は特に現代のCOVID-19と関係が深い事例として興味深いものがある。

 日本における感染症の歴史としての諸事実、特に磯田さんの調べた面白いとこについて、もう少し詳しく抜き書きしたものを別ブログに掲載するつもり。スペイン風邪については速水先生の上記著作が詳しいので、少し高いけどそちらを見てみるとよいと思う。