自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2023年5月24日水曜日

『純粋理性批判』(岩波文庫) 昔の読書ノート

希望
 日記ですが、昔の読書ノートを見つけたので、別のブログ爺~じの哲学系名著読解: カント『純粋理性批判』目次~緒言 (gansekimind-dokkai.blogspot.com)に掲載した。

哲学の古典を原典(訳文だが)で読むことを始めて3~4年後に書いてみた文章。原典に忠実であろうと意図したことは伝わるが、一読しただけではなにを言っているのかよく分からない(書いた本人が言うのもナンだが)。

他にも断片が結構あるが、ある程度纏まったものはすくなそうだが、クラウドに掲載しておけば紛失しなそうだから、気が向いたらまた掲載してみよっと。