自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年11月23日土曜日

11月23日(土) 岩波講座 日本歴史 現代史Ⅰ 「地租改正と地域社会」

岩波講座 日本歴史 現代史Ⅰ の読書メモを再開した。今回は明治時代の「地租改正と地域社会」についてです。内容はココ⇒「爺~じの日本史メモ」をクリックすると見ることが出来る別のブログを見てね。

東シナ海の夕焼け
経済と政治は切り離せないから、国家にとって税の徴収は最も大切な政策であるのに、明治維新のそれについては殆ど無知(私が)であることに改めて気がついた。経済の基盤が土地にあるのは、当時の主力産業が農業をはじめとする一次産業なのだから尚更であることはわかるが、その土地から近代国家として、政府が村単位の請負ではなくて、個人単位として、個人の土地所有を前提とし税を徴収すると言うことは、社会の仕組みの根幹を変えることなのであった。つまり近代国家という理念だけの机上の空論では実施不可能であった。