自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年7月28日日曜日

7月28日(日) 田原総一郎さんが選んだ現代哲学者は西研さんだった

香りのよい「芳純」
2015年に『憂鬱になったら哲学の出番だ(田原総一郎、西研)幻冬舎』を読んだ感想を転記したものです。

ジャーナリストの田原総一郎さんが、「なぜ哲学が人々の疑問に応えないのか」と哲学者を経巡り辿り着いた人が、西研でした。田原さんの容赦ない突っ込みは、一般人を代弁したものでもありますが、本質を突いた鋭いものなので、その様な質問に全部真っ正面から答え尽くした西研さんのコトバは、より説得性をもって響いてくる。
田原さんのモチーフは、「この先行き不透明な時代に、みんながその答え(生きることの意味と価値)を知りたいと思っている<中略>まさに哲学の出番だといってよい」のに「哲学は何をしている?」という序章の言葉に表れています。

対話形式の本書の一部を抜粋してみます。
●田原さんの突っ込み:難解な『純粋理性批判』等の著者カントに関して、普通ハナから解けないことが分かっている問い(世界の、究極原因、始原、果てはあるか)が解けない問いであることの証明に厖大な労力を費やしているが「そんなこと考える必要があるあるのだろうか。カントは苦しむことが好きで、哲学とは苦しむことだと考えておるのではないか」
●西研さんの受け:カントが言いたいのは、人間の思考(=理性)はさまざまな解けない難問を生み出すものであるとまず指摘すること、つぎに「そのような難問にかかずらうのは不毛だよ、きちんと難問を始末して、本当に考えるべきことを考えようよ」ということです。

田原さんは西さんとの対話を通して、難解なわりには役に立たないという「哲学」のイメージをかなり払拭することに成功していると思う。例えばヘーゲルの『精神現象学』について、原典を読んでも、西研らが書いた解読本を読んでもわからなかったけど「本人に相当、文句を言った上で、何を言っている本なのか、徹底的に聞いたところ、何とよくわかったのです」と述べています。

田原さんは、自分とは二回り近く年下の西研さんを現代のソクラテスと述べていますが、先に結論(これが真理)ありきではなくて、ほんとうのこと求めて徹底的に議論すること(普遍性の追求)を旨としてきた田原さんもまた、無知の知を説いたソクラテスなのかもしれません。

一般に、哲学と聞くと理屈っぽく面倒な割には役に立たないと思われている。しかし、本当は、困ったときには何時もみんなやっていることなのだ。

だから、誰でも使えるコトバのツールとして世界にもっと広まれば、みんなの日常生活から、更には世界中で起きている様々な争い事にまで、きっと役立つはずだ。

追記、タイトルに「憂鬱になったら」はいらないでしょうね。せめて、「悩ましいときには」くらいでどうですかね。

2019年7月12日金曜日

7月12日(金) 資本論の読解シリーズも残すところ第三巻のあと一篇となったぞ

アイスバーグ
『資本論』全三巻は昨年四月に完読したつもりになって、その後別ブログに逐次読解を掲載している。
第一巻(資本の生産過程)は大月文庫三冊分に当たるが、この巻が全体の中心をなすので、各章ごとにわけて掲載した。
第二巻(資本流通過程)については、大月文庫二冊分に当たるが、エイッと纏めて全巻を一度に掲載した。
第三巻については大月文庫三冊分に当たるが、学者ではない小生にとっては原理的部分についての繰り返しが目についてきて、次第に忍耐力が薄れて短く纏めるのが困難となり、結果各篇ごとに掲載してきたのだが、第六編についてはもう五ヶ月も放置していた。今回やっと短く纏めて掲載した。残りは元々短い第七篇だけとなったから、『資本論』読解シリーズもいよいよ千秋楽となる。



2019年7月2日火曜日

6月28日(金) 世界は新しい暴力サイクルに入ったのか? ジョン・ダワー

ジョン・w・ダワー『敗北を抱きしめて』 2004年増補版  岩波書店


 2006年よりはじめた、仲間との定例読書会はすでに70回以上となったが、その第一回目に私が取り上げたのがこの本であった。そのときの内心の問いは、日本の現代史としての太平洋戦争開始とその後の出来事について、その本質とは何かということであった。本書はそのための歴史的事実を知るのに選定したもので、日本近代史を専攻する米国の著名な歴史家の著作であることにはそれなりの理由もあった。
 米国との戦争開始の10年ほど前、日本国は中国に対して侵略戦争を始め、それが太平洋戦争に拡大して米国を中心とする連合国に敗退した(1945年)。国家は統治能力を失い国土は焦土と化し経済は破綻し人々は悲惨な生活を強いられた。死者は同胞だけで300万人ほどに達し中国大陸だけでも1500万人に及んだ。そして無条件降伏をしてアメリカが占領軍としてやってきた。
 占領軍は敗戦後7年間にわたり占領政策を実施した。それは日本の非軍事化と民主化を実現するという基本戦略に基づいていた、しかし直ぐに非共産化政策が付け加えられて東西冷戦下での西側陣営に組み込まれた。著者はこの間における日本の現代史を、時が経過して公開された部分を含んだ多様な資料と一般の人々の真意に対する独自の視点に基づいて、いくつもの切り口から浮彫りにしている。
 10年以上も前の読書メモを再掲しているのは、上記のような内心の問いへ応えられる準備が多少できたところで、初心を思い出すのもいいかもしれないと思ったからである。以下は、当時記しておいた本書の序文的な部分のまとめである。

 (カッコ内の赤小文字は小生の注記)
【増補版序】
l  原本は1999年に出版された。2001年の同時多発テロ以降世界は新しい暴力のサイクルに入った(ことを受けて、写真などを追加して増補版を発行した)
l  イラク戦争とその後の占領は、先の大戦における日本占領と異なっている。その相違を問い、理解したい。これは過去を問い直す「歴史への問い」でもある。なぜ日本は、悲惨と混乱の最中で無秩序と無縁でありえたか、なぜ日米はかっての敵同士が急速に善意と信頼を取り戻しえたのか、等々。これらすべては過ぎ去った歴史なのだろうか?

【日本の読者へ】
l  この本の著者の趣意は、日米が残虐な戦争に陥った後に一転して友好国・同盟国になったのはなぜ?という問いへの回答を得ること。
l  歴史学は科学的で公正であるのは当然で、真の問題は「何を問うか」である。
l  歴史学の方法として、伝統的な文献史学だけではなく「人の思考や行動の理解を対象にした研究」に注力した(国家、社会、だけでなく、そこに生活している人間個人に注目して歴史を解釈する方法だろう。当然、方法と普遍性に課題がある)
l  米国においては、社会、文化、政治の複雑な歴史の研究は、欧米については沢山あるが日本については稀である。だから、日本は画一的で西欧と異なった人たちである思われがちだが、それは間違いである。
l  敗北は死と破壊を終わらせてくれたから、日本人は「敗北を抱きしめ」たのだ。新時代の日本の理想として抱きしめるべきものを自問するなら、それは先の大戦後の歴史の瞬間である(それは確かに大事なことであるとは思うが一つの見方に過ぎない。小生は、現代日本の現状を認識して将来を語ろうとするのであれば、アジアとの近隣関係を含めて当事者で作った二三千年程の東アジア史を背景にして、中世日本に遡らねばならないだろうと感じている)

【序】
l  ペリー来航による開港から第二次世界大戦に至るまでの日本の近代化の成功と挫折のおさらい。
l  三年八ヶ月の戦争の後、日本人だけで300万人、中国という地域だけで多分1500万人が死んで大東亜共栄圏は消滅した。(この戦争自体の異常性は、死者数が多いことだけではなく、自他に対する日本軍兵士の残虐行為や統治者達の「一億玉砕」宣伝などの不可解行動、これは彼らの感覚からすれば特に肥大化されているであろうことは推定できる、が欧米に対して日本国を野蛮で狂信的な人々の集団として印象付けた)。その後六年八ヶ月の軍事占領時代に入ったが、このこと自体を、(程度の問題としてではなく原理原則的問題として考えるならば)この間は国家主権を失い国際社会から隔離され軍事力で占領されていたという異常なこと(例え占領されていた割にはその前に比べて当面は平和であっても)として捉えねばならない。
l  日本の占領は実質的に米国の単独占領であり、植民地主義の最後の実例ともいえる(サイードのオリエンタリズムが参考になる)。その最高司令官であるマッカーサーにとっては救済されるべき東洋の異教徒国であり、米国は独善的で空想的で傲慢な理想主義の稀有な実例である「非軍事化と民主化」の改革プログラム(内容明細の理解必要)を日本に押し付けただけでなく、その後冷戦の従属的パートナーに仕立て上げた。だが、「平和と民主主義」という理想は日本に根を下ろした(しかし、手にした自由とお金に目を奪われて、見掛け倒しのところが沢山あることに気付かねば元も子もなくなることに気付かねばならない)
l  占領は異常なほど抵抗なく行われた。それは、民衆が、人々を破滅に追いやった軍国主義者たちを憎み、戦争を嫌悪してそのような過去を乗り越えることを強く希望していたからである(多分民衆にはそれが可能であることを信じる根拠があったから絶望による破滅的行動をとらなかったのだろう。その信じる根拠に対する問いは本質的なものだろう。その問いに対する答えの一つは、政府は信じる根拠ではなく、単なる“お上”であったと思う。)
l  破壊と占領は圧倒的であったから、米国(人)が日本(人)に何をするかが問題であり、敗者は影響力を持って語ることはできなかった。だが、敗者の目を通して世界を見ることによって学ぶものは多く、今日はそれが可能になった。そのためには「民衆意識」に注力することが有効であるので、社会や文化にも諸点を当てて日本人の敗北の体験を「内側から」伝える努力をした。
l  英米の「旧世代のアジア派」の日本理解は「東洋人は従順な家畜の群れである」という単純化された考えにとりつかれていたものであった(サイードのオリエンタリズムが参考になる)。敗戦後の日本人の行動はこの考えに基づく予測とは全く外れて、多彩で千変万化に富んだものであったが、それは敗北が徹底的であったから、人生や社会に対する価値観にまで遡って再考することになったからだろう。
l  戦時中に宣伝されていた人種や社会的団結は敗戦によって一夜で消失し、社会の上層部は私服を肥やすことに専念し、民衆はそれを見て思考と行動を根底から変えてしまっていた(しかしその割には秩序が保たれていたが、それはなぜだろうか。その問いは、日本における統治の根源を問うもので、今後の国家のあり方を問うものであろう。)
l  占領軍がやってきて、自国内では過激と思われる「民主化」を民主的な思想とは全く逆の厳格な権威主義的方法によって遂行し始めると、日本の民衆はエネルギッシュに社会の実態を変えて行き、中堅官僚は本気で押し付けられた民主化の改革を始めた。それは、労働運動、カストリ文化、闇市、教育、宗教、等々の多方面にわたる。
l  マッカーサーは天皇と同じ不可侵であり、GHQと日本政府は二重の官僚構造であった。これは、官僚制民主主義、あるいは天皇制民主主義であった。
l  米国は天皇の戦争責任を問わない決定をしたが、これは戦争責任それ自体を実効あるように問えなくした。
日本の敗戦の観察から人間社会の共通項が取りさせる。①1930から1945年までの15年にわたる軍国主義が一夜にして崩壊したことは、イデオロギーの脆さを示している。これは20世紀の他地域における全体主義的な統治組織の崩壊として見られる現象と類似である。だが、多くの王室が没落したのに日本では君主制=天皇制が支持されたことは政治とイデオロギーの問題について示唆する(どう示唆するのか判明でない)。②日本人が自分の悲惨さは感じとれても他人のそれは無視しがちであったことは、民族のアイデンティティーが被害者意識によって染め上げられることを示している。③戦争犯罪に関して、社会共通の記憶の形成と偽の記憶作り(戦争責任は、敗戦国だけでなくもっと広く捉えるべき)。④日本人が呪文のように唱えてきた「平和と民主主義」は意味内容の対立や闘争の重い歴史を持っていて、日本特有の問題ではない(当然のことながら)