香りのよい「芳純」 |
ジャーナリストの田原総一郎さんが、「なぜ哲学が人々の疑問に応えないのか」と哲学者を経巡り辿り着いた人が、西研でした。田原さんの容赦ない突っ込みは、一般人を代弁したものでもありますが、本質を突いた鋭いものなので、その様な質問に全部真っ正面から答え尽くした西研さんのコトバは、より説得性をもって響いてくる。
田原さんのモチーフは、「この先行き不透明な時代に、みんながその答え(生きることの意味と価値)を知りたいと思っている<中略>まさに哲学の出番だといってよい」のに「哲学は何をしている?」という序章の言葉に表れています。
対話形式の本書の一部を抜粋してみます。
●田原さんの突っ込み:難解な『純粋理性批判』等の著者カントに関して、普通ハナから解けないことが分かっている問い(世界の、究極原因、始原、果てはあるか)が解けない問いであることの証明に厖大な労力を費やしているが「そんなこと考える必要があるあるのだろうか。カントは苦しむことが好きで、哲学とは苦しむことだと考えておるのではないか」
●西研さんの受け:カントが言いたいのは、人間の思考(=理性)はさまざまな解けない難問を生み出すものであるとまず指摘すること、つぎに「そのような難問にかかずらうのは不毛だよ、きちんと難問を始末して、本当に考えるべきことを考えようよ」ということです。
田原さんは西さんとの対話を通して、難解なわりには役に立たないという「哲学」のイメージをかなり払拭することに成功していると思う。例えばヘーゲルの『精神現象学』について、原典を読んでも、西研らが書いた解読本を読んでもわからなかったけど「本人に相当、文句を言った上で、何を言っている本なのか、徹底的に聞いたところ、何とよくわかったのです」と述べています。
田原さんは、自分とは二回り近く年下の西研さんを現代のソクラテスと述べていますが、先に結論(これが真理)ありきではなくて、ほんとうのこと求めて徹底的に議論すること(普遍性の追求)を旨としてきた田原さんもまた、無知の知を説いたソクラテスなのかもしれません。
一般に、哲学と聞くと理屈っぽく面倒な割には役に立たないと思われている。しかし、本当は、困ったときには何時もみんなやっていることなのだ。
だから、誰でも使えるコトバのツールとして世界にもっと広まれば、みんなの日常生活から、更には世界中で起きている様々な争い事にまで、きっと役立つはずだ。
追記、タイトルに「憂鬱になったら」はいらないでしょうね。せめて、「悩ましいときには」くらいでどうですかね。
0 件のコメント:
コメントを投稿