自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年7月12日金曜日

7月12日(金) 資本論の読解シリーズも残すところ第三巻のあと一篇となったぞ

アイスバーグ
『資本論』全三巻は昨年四月に完読したつもりになって、その後別ブログに逐次読解を掲載している。
第一巻(資本の生産過程)は大月文庫三冊分に当たるが、この巻が全体の中心をなすので、各章ごとにわけて掲載した。
第二巻(資本流通過程)については、大月文庫二冊分に当たるが、エイッと纏めて全巻を一度に掲載した。
第三巻については大月文庫三冊分に当たるが、学者ではない小生にとっては原理的部分についての繰り返しが目についてきて、次第に忍耐力が薄れて短く纏めるのが困難となり、結果各篇ごとに掲載してきたのだが、第六編についてはもう五ヶ月も放置していた。今回やっと短く纏めて掲載した。残りは元々短い第七篇だけとなったから、『資本論』読解シリーズもいよいよ千秋楽となる。



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