自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2023年4月15日土曜日

丸山眞男『政治の世界 他十編』(岩波文庫)

ピースの蕾
  コロナ禍で中断していた仲間の読書会の課題図書だったが、最後の会が中止となってしまい今度再開することにしたので改めて読んでみた。

 戦後、社会科学研究の束縛が解き放たれて時が経たない頃の論文が収録されているので、先ずは、「日本の政治学の不妊性」の反省と言う視点が印象的だった。「不妊症」の原因は、明治政府の自由民権運動弾圧にあり、これは西洋市民社会が経験した凄まじき政治の歴史を知ればナルホドと納得性がある、と。最初に記載されある論文は「政治の科学」で、課題解決には原因の認識が基本だから政治も科学として学ばねばならないということなのだろう。

 「政治の世界」という論文では、政治とはどのようなものかという解説がなされている。政治とは、紛争(C)という問題が発生した場合にそれを解決する(S)ために人間集団を現実に動かすことである。従って、幅広い視線と権力(P)が必要であり、政治状況を表す基本図式はC---Sと言う基本にPが媒介したC--P--S、である。が、現実にはP--C--S--P'(P<P')、という図式になっている。つまり、PとCが逆転し、PからはじまりP'にすすむ権力の拡大再生産になっている。なるほど、資本主義における資本の拡大再生産の無限循環に似ているから、放っておくと破綻するというイメージが良く伝わっているなと思う。これを回避する道は、近代市民による政治参加の身近な実践だという指摘は実に真っ当だと思った。