自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2020年2月3日月曜日

1月30日(木)『神聖天皇のゆくえ---近代日本社会の基軸』島薗進

芳純
明治維新から太平洋戦争の敗戦までの間、天皇と言う存在は日本国の政治に強大な影響を及ぼしていた。特に昭和の初め頃から敗戦に至るまでの間では、日本国という国家は皇道・国体と言う理念に支えられて個人の命の価値が極めて軽く扱われるようになっていた。そして、そのことが国民全体に許容されるような状況に至っていた。なぜだろうか?
 
 宗教学者の島薗先生は「神聖天皇」というキーワードを置いて、そのことを説明し、さらに「神聖天皇」は現代の日本社会における一つの価値観として生き残り、現政権はその思想を中核に日本国を”復活”させようとしていると述べている。

 私自身は、政教分離は人類史の智惠だし、文化・伝統を尊重することの大切さは、人間というものが一人で生きている存在ではないから明らかだ、と考えている。しかし、国家・社会は思想や信条が違った多様な価値観を持った人々が平和な日常のもとで共存することを第一義とするものでなければならないとも考えている。だから、人々がそれに向けて制度等々を工夫をし続ける他はなく、島薗先生の言われる「神聖天皇」を頂くような国家にはなってほしくない、と思う。

 「神聖天皇」は祭・政・教一致であったが、現行憲法下にある現代において、天皇の存在どんな意味や価値を持っているのだろう?と言う問いがでてくることは至って自然なことだろう。現行憲法では「天皇」は「象徴」なのであって「政」には関わらないが、行っている「祭」はただの文化行事なのだろうか?沢山の国会議員が「教」(宗教)としての神道の理念の基づいた神道政治連盟に属すると言う事実の底流には、「ゆくえ」不明になった「神聖天皇」のイデオロギーが流れているのではないだろうか?未来の日本をどう構想するのかについてのヒントが沢山詰まっている。