自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2021年10月13日水曜日

プラトン『パイドロス』 恋することの本質はなんだろう?


サハラ
『パイドロス』は『饗宴』と並んでプラトンの恋愛論が展開されている代表的な作品と言われています。

ここでは、恋することの本質が表現されている箇所のいくつかを抜粋してみました。もう少し詳しくは、下記のブログを参照してね。

『われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気とは、神から授かって与えられる狂気でなければならないけれども。』

『この恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられるということだ。その証明は単なる才人には信じられないが、しかし真の知者には信じられるであろう。』

『この話全体が言おうとする結論はこうだ。―――この狂気こそは、全ての神がかりの状態の中で、みずから狂う者にとっても、この狂気にともにあずかる者にとっても、もっとも善きものであり、またもっとも善きものから由来するものである、そして、美しき人たちを恋い慕うものがこの狂気にあずかるとき、その人は「恋する人」(エラステース)と呼ばれるのだ、と。』

『翼もてるエロース そはまこと 死すべきものどもの呼べる名なり。されど不死なる神々は、これをプテロースとこそ呼べれ 翼(プテロン)おいしむるその力ゆえに』


爺~じの哲学系名著読解: パイドロス プラトン著 (藤沢令夫訳 岩波文庫) (gansekimind-dokkai.blogspot.com)

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