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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年1月3日木曜日

1月3日(木) アーレント『活動的生』③第一章 人間の被制約性 2 活動的生という概念



ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)



「 」内は本文引用、< >内はアーレントのキーワード(必要に応じて)。
ピエール・ドゥ・ロンサール

第一章 人間の被制約性

2 活動的生という概念

この節の一言⇒人間の活動を支えているのは死より生、循環より変化

古代ギリシャに溯る<活動的生>という概念は近代に至るまでにさまざまな変容を重ね続けてしてきたが、観想的生に圧倒的優位を与えることとなった西洋の伝統のもとにおいて一貫して否定的ニュアンスで捉えられてきた。しかも、近代になって西洋の伝統的秩序が転倒されてもなお、この伝統を支える信念、つまり、「人間の一切の活動の根底には、唯一無二の中止的関心事が潜んでいるのでなければならない、なぜなら、その様な統一原理がなければ、そもそも秩序を確立することなど出来るはずもないからだ」という信念は共有されている。そして、この信念は何ら自明ではない。

伝統と対立する<活動的生>という概念を著者が人間の根本活動(<労働>、<制作>、<行為>、の総称)を示すものとして使用しているのは何故だろうか? それは、伝統的な形而上学や政治哲学や観照的哲学や近代プラグマティズムでは人間の根本活動を捉えることが出来ないからに他ならない。「伝統に対する私の異議は、本質的には、次の点に存する。つまり、伝統的な上下の身分において観想に認められてきた優位が、活動的生の内部での諸々の分節化や区分をぼやけさせ、看過させてしまったこと、しかも、古来の個の実状は、見かけとは全く裏腹に、近代になって伝統が途切れ、マルクスとニーチェによって伝統的秩序が転倒されても、何ら変わらなかったこと、これである。」

著者が<活動的生>という言葉を使うときには、静的より動的、死より生、永遠の同一より多様な変遷、といった部分に人間の根本的活動が根差しているという感度がある。「活動的生について語るとき、私がむしろ前提しているのは、活動的生に含まれるさまざまな活動が、「人間一般」の抱く永遠に同一であり続ける根本的関心事に還元されるなどと言うことはあり得ないこと、さらに言えば、それら多様な活動は、観想的生の根本的関心事より上位にあるわけでもないこと、このことなのである。」

 著者は、活動的生という概念で人間の被制約性として観照的生に潜んでいるであろうなんらかの側面は扱うことは出来ないこと、また真理とは人間に本質的に与えられているものという伝統的な真理概念を否定も俎上に挙げることもしないこと、と断りを入れている。




★<活動的生>の概念が変容してきた歴史


・活動的生という概念は西洋政治思想の伝統そのものと同じだけ古いが、それより古いというわけではない


・活動的生という概念の生じたきっかけはソクラテス裁判(哲学者ソクラテスは、自身の正義を貫いたがためにB.C399年に裁判にかけられ、法に基づいて下された死刑の判決がもたらした状況から逃れることが出来たにもかかわらずそれを拒否して死を選んだ)であった


・ソクラテス裁判によって政治哲学が生じた。以後この政治哲学は、政治上および哲学上の西洋の伝統の基礎をなすこととなった


・プラトンの政治哲学には、観想が、あらゆる種類の活動に対して、それゆえ行為という政治的活動に対しても、有していた法外な優位が見られる。「プラトンは、ポリスのユートピア的秩序が、哲学者の思慮深い洞察によって導かれるべきだとするが、そればかりではない。プラトンの構想した政治体制からしてすでに、哲学者の生き方を可能にすること以外のいかなる目標も持たないのである。」


・アリストテレスのbioi=生、の領域からは、<労働>と<制作>という生き方は除外されていた。アリストテレスは、bioi=生、を三つの生き方に区別した。その三つの生き方とは、「第一に、物質的に美しいものを享受し蕩尽することに明け暮れる生であり、第二に、ポリスの内部で美しい行いを成し遂げる生であり、第三に、過ぎ去ることの決してないものを探究し直観することによって、永久に美しくあり続ける者の領域に留まる哲学者の生である。」。この三つの生き方からは、「自ら進んでであれ、嫌々ながらであれ、一時的にであれ、全生涯にわたってであれ、自由に動いたり活動したりすることが出来ない生き方、人生のどんな一瞬にせよ、自分の時間とその都度の滞在場所をいのままとすることができない生き方」はすべて問題外として除外されている。つまり、アリストテレスの列挙した三つの生き方は、theoriaつまり観照と、bios theoretikosつまり観照的生、の理想によって、あからさまに導かれている


・ギリシャ世界においては、自由の前提条件だとふつう見なされていたのは、やむにやまれぬ生命の必要からも他者による強制からも自由なあり方であった。これに加えて哲学者たちは、政治的活動から解放されること、つまり閑暇、言い換えれば、一切の公的な用務を差し控えること(schole)、を自由の条件としたのである


・アリストテレスの考え方は、ポリス的なものに対するギリシャ人(市民)一般が抱いていた次のような考え方の基礎の上に成立していた。真にポリス的なものは、人々が安定して共生しているところではどこでも、どうしても成立せざるを得ない、というわけでは決してない。専制的支配というのは経験上、ポリスの形成以前のあらゆる共同体において必要であったからこそ、ギリシャ人は、支配者として生きることは自由人生き方にはふさわしくない


・アリストテレスにおいては、静止の欠如(ascholia)は一切の活動のあり方を特徴付ける印であった。「静止とは、いわば息を殺して一切の身体運動を停止することであり、静止の欠如とは、ありとあらゆる活動に記されるものであった。静止と静止の欠如の区別は、すでにアリストテレスにおいて、ポリス的な生き方と観想的な生き方の区別立てよりも、重要度の高いものであった。なぜなら、静と動の区別は、観想的生を含む三つの生き方のいずれにおいても立証できるからである。」。「外的運動であれ、言論や思考といった内的運動であれ、ともかく心身を動かしているものは、真理を観取したあかつきには静止するのでなければならない、というわけである。」


・中世哲学において、vita active=活動的生という言葉が最初に見出された。bios politikos つまりポリス的生というアリストテレスの概念をラテン語に翻訳する時に用いられた。だが、その際に意味を決定的に歪められて解釈されてしまった。アリストテレスは「bios politikosを本来の意味での政治的なものの領域のみを表し、それとともに本来の意味でのポリス的活動としての行為(prattin)を表していた。」(ポリス的自由人によるポリスの領域における活動としての行為のこと、だろう)。「しかし、古代都市国家の消滅と共に、<中略>活動的生という概念は、その真にポリス的な意味を失い、この世の事柄に活動的に従事することならどんな種類であれ言い表すようになった。」。そして「活動的生という概念から<労働>と<制作>が人間の活動の位階秩序において昇進し、遂に政治的なものに匹敵するほどの尊厳を手に入れた、というわけではない。むしろのその正反対であった。今や<行為>も、この世に生きるために絶対必要な活動の水準にまで押し下げられた。その結果、アリストテレスの挙げた三つの生き方のうち、三番目の vita contemplativeつまり観想的生、ギリシャ語で言えばbios theoretikosつまり観照的生だけが、残ることになったのである。」


・「おそらくポリス的なものがかってどのような位置を占めていたかを少なくともまだ知っていた最後の人であったであろう」アウグスティヌスは、「vita negotiosa つまり多忙な生、もしくは vita actuosa つまり活発な生という語を使っており、こちらには、もともとのギリシャ的意味がまだ残っている。アウグスティヌスは、政治的事柄に公的に捧げられた生、という意味で使っているからである。」


・「後代のキリスト教は、政治的な用務に一切煩わされず、公的空間で起きていることを気にすることなく生きてよいのだと主張した。明らかにそれに先だって、古代後期の哲学諸派は、政治に対する無関心の態度を意識的とっていたのである。キリスト教は、それまでは少数の人々によってのみ主張されていたことを、万人に対して要求したに過ぎない。」


・中世のvita activa の概念には、人間のあらゆる活動が含まれるのだが、その場合に、労働、制作、行為はいずれも観想における絶対的静止の観点から理解されている。その限りで、活動的生は、ギリシャ的に解されたbios politeikos よりもギリシャ語のascholiaつまり静止の欠如、に近い語感を持っている


・「真理を前にしての絶対的静止というこの(アリストテレスの)考え方は、存在は己を現す、としたギリシャ的真理観に妥当するものであったのみならず、生き生きとした神の御言葉によって真理は啓示される、としたキリスト教的真理観にも依然として妥当するものだった。」

・キリスト教では、死後の世界がいかに至福に満ちたものであるかは、観想の喜びにおいて予告されるとされる。死後の生へのこうした信仰は、活動的生の価値低下を決定づけた

・近代のはじめに、マルクスとニーチェによって伝統的秩序が転倒されたが、その価値転換が遂行される際の概念枠組みそのものは、全くといってよいほど無傷のままであった

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