このテーマで上垣内憲一さんの著書を読もうと思ったのは、知人から紹介されて先日はじめて読んでみた『雨森芳洲』(中公新書)の記述から、著者の緻密な誠実さが伝わってきたからであった。
この事件は、単なる歴史の一コマではないのに、どうして事実を真剣に調べることに抵抗があるのだろうか?近現代史であればあるほど「政治的バイアス」があるからだろう。だが、噂ではなくまずは事実を大切にするという感性はとても大切だと思う、特に民主主義においては。
伊藤博文の暗殺犯は一般に流布しているような安重根ではないかもしれない。なぜなら、驚くべきことに、採取可能であったはずの直接的証拠も信憑性のある間接的資料も残されてはいない。
推定される動機は二つある。一つは当時の支配者であった日本国政府に対する被支配者であった朝鮮国の人びとによる抵抗である。安重根説はこちらに属するから、彼は韓国では英雄として位置づけられ、そう教えられているらしい。
しかしもう一つの動機がある。それは、当時の東アジア情勢をめぐる、日本政界の最高実力者で朝鮮総督歴任者(だから暗殺対象者となった)である伊藤博文と日本陸軍との路線対立である。こちらの場合で可能性が高いのは、当時世界トップクラスの謀略工作の専門家で、日本の韓国憲兵隊長明石元二郎少将(過酷な朝鮮弾圧で知られている)の指揮の下でこの暗殺が遂行されたのではないかというのが著者の説である。
明治維新以後の40年間ほどの間に、日本国の対朝鮮・清国・ロシアの外交政策は、日清・日露の二つの戦争を挟んで次第に軍事力に依存するようになっていった。維新の立役者が次第に亡くなっていくなか、元勲の一人であり当時の最高指導者であった伊藤博文は、当然、日本国の運営方針に深く関わっていた。政界NO2の山県有朋を最高指導者に頂く日本陸軍勢力は、伊藤暗殺の翌年に実行された韓国併合も、対ロシア政策の要としての満州地域支配の手段であると考えており、一貫して外交を重視する伊藤の存在はこの政策実行の大きな障害となっていた。
アメリカのケネディ大統領暗殺に関する一連の事件も深い闇に閉ざされていると多くの人が感じている。伊藤博文暗殺事件の真相の究明は今となっては困難かもしれない。しかし、ここ20年くらいの日本の政治状況を見ると、この暗殺事件は、歴史が今の社会に鳴らす警鐘のように聞こえるのは考えすぎだろうか。国家における諸権力の都合による事実の隠蔽という意味で。