ジャスミーナ |
事態の本質は、行政による学問の支配という悪政が実施されたことにある。法的には憲法23条の学問の自由に抵触し、学術会議法の違反でもあり、この問題は、継続して追求すべきものである。
何故政府がこのようなことをし始めたのかについては、任命拒否の理由が開示されていないので、今のところこれ以上進んでいないが、科学技術の力を日本学術会議ではなくて政府の支配下に置こうとしているかららしい、とりわけ、軍事力に関わる科学技術に関しては。
因みにここで述べられている科学技術という言葉のうちの科学には自然科学だけではなく人文科学も含まれているのは政府も学術会議も同じ。しかし、科学技術という言葉の意味については政府と学術会議では異なっているようで、政府は科学に基づいた技術のことを指し、学術会議の方は科学と技術のことを指しているようだが、これは枝葉末節どころかことの本質に関わることだろう(多分殆どの人にとってはどちらでも良いのかもしれないが)。
もとより、日本学術会議会員の任命拒否問題は、近年(例えば第二次安倍内閣が成立した2012年12月26日以降ともいえるだろう)、における日本政治の急激な変質プロセスの中で発生したものであろう。だから今回の問題を深く理解するには、政治の変質に伴ってすでに顕在化している個々の事態(有事法制等々)の認識と、その事態が発生してくる本質的な理由を理解することが必要となる。
国家というものを構成する要素は、大きく言えば、国土・国民・経済力・軍事力・統治力だろう。そして近代民主主義国家は、なによりも国家は国民のためにあるのであって、その逆ではないことを目指し、そしてそれが可能な仕組みを求めてそのつど発生してくる未知の課題を解決しながら、人類史から見れば短い歴史を積み重ねて来た。その結果、国家の力においては他の形態の持つ国家(種々の独裁国家等)より強力となったのだが、そのさいの根本原理は自由(個々人にとって)と自律(共同体にとって)であろう。
そして、未知の課題を解決する知を生み出す根源は学問であって、今回の問題に即していえば、「科学に基づいた技術」ではなく「科学と技術」だろう。したがって、近代民主主義国家にとって、学問の自由と自律は必須の条件となる。本書の表題は、そのことを端的に表している。本書の出版記念シンポジウムが2022年9/6に岩波書店により開かれた。便利なもので、シンポジウムに参加していなくても後日岩波書店のyoutubeで観ることが出来ました。3時間もありますが、私にとっては様々な面で理解が深まりましたので、いつまで公開されているのか分かりませんが、下記にリンクを張っておきます。