ピースの蕾 |
戦後、社会科学研究の束縛が解き放たれて時が経たない頃の論文が収録されているので、先ずは、「日本の政治学の不妊性」の反省と言う視点が印象的だった。「不妊症」の原因は、明治政府の自由民権運動弾圧にあり、これは西洋市民社会が経験した凄まじき政治の歴史を知ればナルホドと納得性がある、と。最初に記載されある論文は「政治の科学」で、課題解決には原因の認識が基本だから政治も科学として学ばねばならないということなのだろう。
「政治の世界」という論文では、政治とはどのようなものかという解説がなされている。政治とは、紛争(C)という問題が発生した場合にそれを解決する(S)ために人間集団を現実に動かすことである。従って、幅広い視線と権力(P)が必要であり、政治状況を表す基本図式はC---Sと言う基本にPが媒介したC--P--S、である。が、現実にはP--C--S--P'(P<P')、という図式になっている。つまり、PとCが逆転し、PからはじまりP'にすすむ権力の拡大再生産になっている。なるほど、資本主義における資本の拡大再生産の無限循環に似ているから、放っておくと破綻するというイメージが良く伝わっているなと思う。これを回避する道は、近代市民による政治参加の身近な実践だという指摘は実に真っ当だと思った。