ベルサイユの薔薇 |
著者は1956年生まれのユダヤ人哲学者で、特にフェミニズムの領域では著名であることは知ってはいたが、今回はじめてその思想に触れてみて、またちょっと無知を埋めることが出来た。折しも、パレスチナで勃発したハマスとイスラエルとの悲惨な戦闘という現実が、「どうしてこんなことになるのだろう」という問いを発生させていたことも、本書読む動機を強めていた。
印象的であった著者のテーゼを私風に書いてみると「ユダヤ性はシオニズムというイデオロギー批判を可能にする」というものだ。この言葉は著者のオリジナルではなく、特にサイードやアーレントの思想を取り入れて発展させているように見える。そして、この発展は時代の現実が要請するものだろう。この現実とは、ナチスのホロコーストが契機となり、西欧近代がパレスチナの地にイスラエルという人工的国家を出現させたことだろう。人は地上で共存するほかはなく、誰と共存するかは選べず、その現実は国家という理念より前にあったのだが。ユダヤ人のディアスポラ(離散)という歴史は、国家より先にあった現実だった。ナルホド。ずっと積ん読になっているアーレントの『全体性の起源』を読破してみるか。