自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2025年7月20日日曜日

NHKを退社独立後10年の取材で書いた『災害とデマ』(堀潤著)

 自分の外部で起こっている出来事について、何がホントで何がウソなのかが段々分からなくなっている。ネット情報やSNSの拡大はウソとホントの区分けを困難にしている。このことへの興味の一環としてこの本を買って通読した。
レッド・レオナルドダヴィンチ

 
 帯には「本当のSOS]を埋もれさせないために何が出来るのか?」と書いてある。東日本大震災および同時に生じた福島原発大事故の後にNHKを退社独立して様々な災害現場を自身で取材した著者の動機が表現なのだろう。ファクトチェックシステムなどネット技術を社会に役立つように利用するという前向きなやり方も現実に出現してきているようだが、 そもそも情報へのアクセスとして、「パブリックアクセス」と「オープンジャーナリズム」という分類で捉えると良いのではないかという指摘は参考になる。パブリックアクセスとは、「国家が有する資源は国民でありあれば誰でもつかうことができる」という権利で、電波はまさに国が管理するものであるから、国民は当然電波を自由に使う権利があるという考えかたです。公共財としての電波を使用する権利は、アクセス権、人権のひとつだというのです。オープンジャーナリズムとはSNSなどの発達に伴って議論されるようになった概念で、従来、編集権を主張し特定の職業メディア人たちによって行われててきた取材、執筆、撮影、編集作業に、一般の非メディア人が作成者の一人として係わる取り組み指します。と、説明されている。

  著者は、20世紀のメディアは歴史の後退が起こったと考え、このような参加型、協業型のニュースメディアの実現は、国家主義や過剰な商業主義の台頭で奪われた「知らせる権利」の人々に取り戻す、新たな民主主義運動と重なるものだととの認識して、市民ニュース「8bitNews」を立ち上げての活動もしているそうです。面白そー。