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| ピース |
きっかけは、なぜか”科学”をもっと知りたいと言ってきた、まったくの文系と自認している古くからの友人から、文系の人は信用出来ないけど理系の知り合いはあんたしかいなかったので、とお声をかけて頂いたから。
私は哲学好きな元技術者だっただけで、先生でも学者でもないけど、最先端科学については興味があったし暇だったから、とりあえず四五人で読書会を始めてみ選んだのがこの本。著者のアインシュタインが一般読者向けに本人が書いた貴重な文章から、物理学の考え方を私なりに読み取って、逐次綴ってみようとおもいます。今回は第一章。
読み終えたら次は量子論に行こーっと。
第1章
幾何学の諸定理の物理学的内容(補足:ここでの幾何学はユークリッド幾何学)
幾何学は、平面、点、直線などのような観念と、それらの観念にもとづいて〈真〉と承認できるような簡明な公理から出発し、幾何学の諸命題(定理等々)は論理的に〈真〉と証明される論理の体系である。
しかし、〈真〉と承認できる根拠は何かという問いは、幾何学の方法によっては答えられないから、〈真〉という概念は純粋な幾何学の表現としてはふさわしいものではない。幾何学は、その概念と経験している諸対象との関係ではなく、その概念同士の論理的な関係を問題とするものである(補足:数学一般に拡張し得るだろう)。
幾何学の公理を〈真〉と言いたくなるのは、われわれの思考習性によるものだろう。つまり、幾何学の概念には自然の中で多少とも明確な対象が対応しているからだろう。(補足:思考習性とは、思考は経験から出発するほかはない、と捉えれば理解しやすい)
物理学は〈実在〉を対象とし、その〈真〉を問うものである(補足:最先端の物理学はこの〈実在〉の意味が深く問われているようだ⇒本書付記5は、一般相対性理論がその有力な一翼を担っていることを理解させる。もう一つは量子論となる)。従って公理の〈真〉を問うことが出来ない純粋幾何学は、そのままでは物理学の一部門としてとして扱うことは出来ないことになる。しかし、われわれの思考習性に従った以下のような一つの公理をつけ加えることによって、幾何学を物理学の一部門として扱うことができるようになる。
「実際の剛体につけた二点には、例え剛体がどのように姿勢を変化させようとも、常に同じ間隔=線分が対応する」である。やや不正確な言い方をすれば、幾何学の一定理が〈真〉であるということは、その定理が示すことと、コンパスと定規による作図とが一致すること、となる。
幾何学の公理が、実在において〈真〉であることを証明するには、かなり不完全な経験(測定)に頼るしかないから、それらの〈真〉には限界がある。その限界がどの程度のものなのかについては、後に取り扱う一般相対性理論において考えることができる。

