ベルサイユのばら |
「善」とは何だろう?という問いかけ、数千年前から善悪に悩んだであろうみんなの問いかけだ。哲学史を通観してみると、善のイデアがイデア中のイデアとして真善美の中でも一番大事なもの、という謎を比喩として残したのは2500年前のギリシャプラトン。素晴らしい!でも、ほんとうはどういう意味?。弟子のアリストテレスは謎じゃいやだと別のことを言う。
それから2000年以上経て、ヨーロッパの思想家、哲学者達が続々と登場した。そして「善」についてのそれぞれ異なる、難しそうなことを言い始める。カントの後継者の一人として数えても良いだろうと思う日本の西田幾多郎も『善の研究』を著した。面白いことに『リヴァイアサン』の著者ホッブズがその中での一番の先輩として登場する。そしてスピノザ、ヒューム、『国富論』のスミス、そしてもちろんカント。カントの後継者達も頑張るがなぜか段々と一番大事なところからずれていくみたい。カントの痛烈な批判者である、かの偉大なヘーゲルには、その痛烈さとしての確固たる根拠があった。ヘーゲルとは似ても似つかないようなニーチェは「神は死んだ」と言いながら道徳の哲学を著して、なんと「善」にたいするヘーゲルの素晴らしい直感を説明しているという。内的な自己エロスの力動として、自由の本能として!。
なるほど、善や倫理・道徳の本質はエロス(生きる喜びの力)、自由の本能なんだ。