芳純(良い香り) |
本書は、章じたいの項目名というのか説明が長いので、これだけ羅列するだけでも面白い。岩波文庫上下2冊(水田洋訳)。( )内は私の補足
第一部 行為の適宜性について
第一篇 同感について
・人間の本性にはいくつかの原理がある。哀れみ、同情に対する情動ではその一つである
・われわれの想像力は諸感覚の印象によるほかはなく、それによって観念を形成する(デヴィッド・ヒュームと同じ)。
・想像力が同胞感情の根拠である
・想像力による幻想により死への恐怖が生じる
第二篇 われわれが他の人びとの諸情念と諸意向を、彼らの諸目的にとって適合的なものとして、あるいは適合的でないものとして、是認または否認するさいの、感情について(確かに題目が長いけど、スミスが問題にしているところが分かって面白い)
第一章 相互的同感の快楽について
・同胞感情を観察すること以上に喜ばしいものはない。なぜなら援助を受けられる確信を与えられるから
・愛は快適な、憤慨は不快な、情念である。愛顧より憤慨への同感のほうが望まれる
第二章 われわれが他の人びとの諸意向の適宜性または不適宜性を、それらがわれわれ自身の諸意向と協和しているかいないかによって、判断するやりかたについて
・その判断は同感できるか否かである
・行為の徳と悪徳は、究極的には心の感情または意向に依存するが、これらは二方面から考察することができる。原因つまり諸動機と目的つまり効果との関連においてである
第三章 同じ主題のつづき
・他人の諸感情の適宜性についての判定基準は二つある。一つは科学や趣味の世界の基準で、もう一つは同胞感情を持っている仲間世界での基準である
・仲間内だけではなく他人を含めて、是認・協和は可能である
・社会と交際は、平静さを取り戻すための最も強力な手段である
第四章 愛すべき、および尊敬すべき諸徳について
・愛すべき諸徳=率直な謙遜と寛大な人間愛→相手の諸感情に入りこむ努力
・尊敬すべき諸徳=偉大で畏怖すべき、自己統御、名誉と行動の適宜性に従属できる徳→情念規制の徳
・諸徳は普通でない程度が要求される
第三篇 適宜性と両立しうる、さまざまな情念の程度について
序論
・情念の適宜性には相手が了解出来る程度で→大体は高過ぎ、例えば悲嘆、憤慨。低過ぎは愚鈍、無気力
第一章 肉体に起源をもつ諸情念について
・肉体に起源をもつ諸情念が強いと不快→不快感の本当の原因は、そこに入りこめないから
・肉体的苦痛についてはかなり同感を得やすい
・想像に起源をもつ諸情念は、肉体的なものよりも同感を得やすい。→動揺、不安は観念によってひきおこされる。
・肉体の苦痛に耐えうるのは、それに対する同感がわずかであることに由来する。→(肉体を自己から切り離しうること、それによって他者から認められることを知っている)
第二章 想像力の特定の傾向または慣習に起源をもつ諸情念について
・慣習や個別事情から出てくる想像力に基づいた諸情念は、自然に基づくようなもので同感を得にくい。→恋の情念は他人にはどうでも良いばかばかしいもの。
・われわれの関心をひくのは、他の情念、即ち希望、不安、困苦を生み出す状況としての情念、である。
第三章 非社会的な諸情念について
・憎悪、憤慨およびそれらの変容のすべてである。第三者がどちらに同感するか?
・憎悪と怒りは善良な精神の幸福にとって最大の毒である。落ち着きと平静さは幸福にとって極めて必要であって、それらは感謝と愛情という反対の諸概念によって最も促進される
・憎悪が抑制されると寛容で高貴でさえあると認められるであろう
第四章 社会的な諸情念について
・寛容、親切、同情、相互の友情と尊敬、社会的な仁愛的な意向、の態度、顔つきは利害関係抜きに人を喜ばせる。
・侵害の残虐性はどこから生まれるか?
・嫉妬は一つの根拠だが大した問題ではない。憎悪と憤慨への激しい情念は、普遍的な恐怖と嫌悪の対象であって、市民社会から追放されるべきものである。
第五章 利己的な諸情念について
・社会的と非社会的の中間に利己的な諸概念がある
・成り上がりにたいする嫉妬。成り上がった人のもつべき配慮、例えば丁寧さや謙虚や簡素
・幸福は愛されていることに由来するが、幸運にはあまり由来しない。だから、運命による大きな成り上がりに対する歓喜には同感は得られず、小さな歓喜は容易に同感される
第四篇 行為の適宜性に関する人類の判断にたいして、繁栄と逆境が与える影響について、および、まえの状態にあるほうが、あとの状態にあるよりも、かれらの明確な是認がえやすいのはなぜか
第一章 悲哀にたいするわれわれの同感は、一般に、歓喜にたいするわれわれの同感よりも、いきいきとした感動であるのに、主要な当事者によって感じられるもののはげしさには、はるかにおよばないのがふつうであること
・悲哀への同感は歓喜にたいする同感より普遍的である
・嫉妬がなければ、歓喜への同感の方が悲哀への同感よりもはるかに強く、同胞感情も当事者のそれにずっと近くなる。なぜなら、健康で負債が無く良心に疚しさがない幸福な状態に付け加えうるものは少ないが、そこから奪われで悲惨となる迄の距離は無限大であるから、同感の程度において第三者は当事者にはるかに及ばないから
・なぜ笑うことより泣くことを恥じなければならないか。
第二章 野心の起源について、および諸身分の区別について
・くらべられぬほど悔しいのは、貧困を公共にさらすことである。
・貪欲、野心、富、権力と優越の追求の目的は何か?自然の諸要求を満たすためではない。注目され、同感と行為によって明確な是認をうることである。
・われわれの関心は安逸や喜びではなく虚栄であり、虚栄はわれわれの信念に基づく。
地位ある人びとの状態にたいして、われわれは特殊な同感をもつ。例えば王たちの悲運は恋人たちの悲運に似ている。想像力に基づく演劇への同感
・富裕な人や有力な人の情念に付いていくこと。国王の処刑は理性と哲学の学説であり、自然の学説ではない。ルイ14世は偉大な王の範例であり、彼の前では、知識、勤勉、武勇、慈恵は、ふるえ、赤面し、あらゆる威厳を失った。
・身分の低い人びとは、自分の肉体、精神の労働以外に資金をもたないから、それらを磨くしかない
第三章 ストア哲学について
[付録一 六版 第一部第三篇第三章 富裕な人びと、地位ある人びとに感嘆し、貧乏で卑しい状態にある人びとを軽蔑または無視するという、この性向によってひきおこされる、われわれの道徳諸感情の腐敗について] <省略>
第二部 値うちと欠陥について、あるいは報償と処罰の対象について
第一篇 値うちと欠陥の感覚について
序論
・人類の諸行為を為す諸資質には、適宜性の他に値うちがある。値うちには報酬が値する(反対は処罰)。
・諸行為の値うちについての感覚の本質を、ここでは考察する。
第一章 感謝の正当な対象であるように見えるものは、すべて報償にあたいするように見えること、また同様にして、憤慨の正当な対象であるように見えるものは、すべて処罰にあたいするように見えること
<省略>
第二章 感謝と憤慨の正当な諸対象について
<省略>
第二章 感謝と憤慨の正当な諸対象について
<省略>
第三章 恩恵を授与する人物の行動について、明確な是認がないばあいは、それをうけるものの感謝にたいする同感は、ほとんど存在しないということ、そして、反対に、危害を与える人物の諸動機について、明確な否認がないばあいは、それを受けるものの憤慨にたいして、いかなる種類の同感も存在しないということ
・意識的な恩恵の授与でない限り、それに対する感謝を感じ取ることはできないし、意識的な否認なくば、加害者は被害者の憤慨を感じ取ることは出来ない。
第四章 先行諸章の要約
<省略>
第五章 値うちと欠陥についての感覚の分析
<省略>
第二篇 正義と慈恵について
第二篇 正義と慈恵について
第一章 それらふたつの徳の比較
・慈恵は無償=自由であり、原理的に力づくでは奪えないものである。
・憤慨は防衛のためだけに自然からあたえられているもので、正義を保護し、罪を犯さぬ安全保障である。
・慈恵的な諸徳ではない徳がある。その徳は正義である。
・正義を守るには、われわれ自身の意思の自由が制限され、力ずくが許容される。
・正義の侵犯は憤慨(処罰)の対象となる。
第二章 正義の感覚について、悔恨について、および値うちの意識について
<省略>
第三章 自然のこの構造の効用について
第三章 自然のこの構造の効用について
・自然は、正義を守るための性質、意識を人間にあたえた。例えば侵犯が処罰に値すると意識でき、処罰への恐怖をもつ
・人は生まれつき同感的である。
・スミスの自然認識→宇宙の適合性(整合的)。生命体の作用原因と目的原因の存在。諸物体の作用原因と目的原因の存在。精神のはたらきは物体のはたらきと違ってこの二つの原因を混同すること。
第三篇 諸行為の値うちまたは欠陥にかんして、人類の諸感情に偶然性があたえる影響について
序論
第一章 偶然性のこの影響の諸原因について
<省略>
<省略>
第二章 偶然性のこの影響の範囲について
<省略>
<省略>
第三章 諸感情のこの不規則性の究極原因について
・自然のあらゆる部分は、創造者である神の配慮の証明であり、人間の弱さと愚かさの中にさえ、神の智恵と善性をみることが出来る。
第三部 われわれ自身の諸感情と行動に関する、われわれの判断の基礎について、および義務の感覚について
第一篇 称賛または非難される値うちがあるという意識について
<省略>
<省略>
第二篇 われわれ自身の判断は、どのようなやり方で他の人びとの判断であるべきものに依拠するか、および、一般的諸規則の起源について
<省略>
<省略>
第三篇 良俗の一般的諸規則の影響と権威について、および、それらは最高存在の諸法とみなされるのが正しいということについて
・神々があたえた良俗は、自然に叶うものである
第四篇 どんなばあいに、義務の感覚がわれわれの行動の唯一の原理でなければならないか、また、どんなばあいに、それが他の諸動機と協働しなければならないか
・感謝、慈善、公共精神、寛容と正義、これらの諸義務を遂行する行為の唯一の原理と動機は、神がわれわれに命令したといいうことである
・人間が間違った義務感覚に従ってしまうのは、彼の行動が彼の弱さによるのであって、原理の結果ではないことを理解すれば、不快には成らないが、到底是認することも出来ない
[付録二 六版第三部への追加]<省略>
第二章 称賛への愛好について、称賛にあたいすることへの愛好について、また、非難への恐怖について、非難にあたいすることへの恐怖について
第三章 良心の影響と権威について[追加分]
第四部 明確な是認の感情にたいする効用の効果について
第一篇 効用があるという外観が、技術のすべての作品にあたえる美しさについて、そしてこの種の美しさの広範な影響について
・効用は、美の主要な源泉の一つである。
・意図された目的を実現するのに適していることは、効用である。
・効用は喜びをあたえ、その喜びの原因は効用が快楽や便宜をもたらすからである(ヒューム礼賛)。
・美の対象が永続的となるのは、同感による。効用が喜びをあたえるのはその外観による。
・効用以上の値うちをもつことがある。富と地位の快楽は、哲学的見方からすればつまらぬものであろうとも、われわれは自然に、何か偉大で美しく高貴なものとして、想像力に強い印象をもつ。この自然の欺瞞は科学と技術と生産と土壌の改良と大洋の資源化と荒れた森林の平原化と贅沢品の生産およびそれの分け前としての生活必需品の――――。
第二篇 効用があるという外観が、人びとの生活と行動にあたえる美しさについて、そしてこの美しさの知覚が、どれだけ、明確な是認の本源的な諸原理のひとつとみなされるかについて
・われわれは、個別事情があたえられたときだけ感受作用、是認・否認、知覚、同感、感謝、憤慨、徳・悪徳、判断、を持つことが出来る。
・効用が是認の第一の理由ではない
・明確な是認の感情には、効用の知覚とは区別された適宜性の感覚をつねに含む
・有用な(効用)諸資質は第一に理性と理解力、第二に自己規制
・人間愛、正義、寛容、公共精神は、他の人びとにとって有用な諸資質である
・人間愛は女性の徳で、寛容は男性の徳、――――。
・人間愛は女性の徳で、寛容は男性の徳、――――。
第五部 明確な道徳的是認および否認の諸感情にたいする、慣習と流行の影響について
第一篇 美しさとみにくさについてのわれわれの諸見解にたいする、慣習と流行の影響について
<省略>
<省略>
第二篇 道徳的諸感情にたいする、慣習と流行の影響について
<省略>
<省略>
[付録一 六版第六部]<省略>
第六部 徳の性格について
序論
第一篇 その人自身の幸福に作用するかぎりでの、個人の性格について、あるいは、真慮について
第二篇 他の人びとの幸福に作用しうるかぎりでの、個人の性格について
序論
第一章 諸個人が自然によって、われわれ自身の配慮と注意にゆだねられているその順序について
第二章 諸社会が自然によって、われわれの慈恵にゆだねられる、その順序について
第三章 普遍的仁愛について
第三篇 自己規制について
第六部の結論
第六部 道徳哲学の諸体系について
第一篇 道徳的諸感情の理論において、検討されるべき諸問題について
・良俗の諸原理を考えるときに二つの問題がある。一つは徳の所在(性格、気質の調子、行動の色合い)、一つはこの性格をもたらす精神の能力とは何か。
第二篇 徳の本性にかんしてこれまであたえられてきた、さまざまな説明について
序論
・これまでの徳の説明は三つある。徳は適宜性にある、徳は真慮にある、徳は仁愛にある、の三つ
・諸意向の大きな区分は、利己的と仁愛的である。
第一章 徳が適宜性にあるとする諸体系について
・プラトン、アリストテレス、ゼノン。プラトンは判断する能力を理性と予備全体の統治(真偽だけでなく欲望と意向)原理資格を与えた。
第二章 徳は真慮にあるとする諸体系
・エピクロス、自然的欲求の一次的対象は、肉体的な快楽と苦痛(プラトンは知や幸福などイデアもそう)。
第三章 徳は仁愛にあるとする諸体系について
・アウグストゥス、後記プラトン主義者、キリスト教
第四章 放縦な諸体系について
・その他に、悪徳と徳との区別をしない徳の体系がある。スミスはそれらを否認する。
第三篇 明確な是認の原理に関して形成されてきた、さまざまな体系について
序論
・是認の原理は三つあり、それぞれ異なった源泉、即ち自愛心、理性、感情をもつ。しかし、この原理の考察は哲学的好奇心の対象ではあっても、実際においては重要性を持たない。
第一章 明確な是認の原理を自愛心から引き出す諸体系について
・ホッブズなどの体系。
第二章 理性を明確な是認の原理とする諸体系について
・ホッブズに対抗して、国家権力を超える是認原理を理性に求める体系。徳が理性との一致にあるということは、ある部分では真実だが、つまり経験からの帰納で判断する力が理性だから。だが、正邪についての最初の諸知覚は理性の対象ではなく、感覚と気分の対象である
第三章 感情を明確な是認の原理とする諸体系について
・この体系は二つに分かれる
第四篇 さまざまな著者たちが、良俗の実際的な諸規則を、とりあつかってきたそのやり方について
<省略>
<省略>
[付録二 諸言語の起源にかんする論文]
諸言語の最初の形成および本源的ならびに複合的諸言語の特質のちがいについての諸考察<省略>