自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年10月6日日曜日

10月6日(日) 『諸国民の富』アダム・スミス 1776年 通読概要

ピース
私の書棚のリストには2500冊ほどが記載されていて、目を通したのはそのうちの1700冊くらいと記録されている。このブログを書き始めたのは2017年10月からだが、日記というにはほど遠く、月に数回しか書いていない。そこで、昔読んだ本の内で感想とか読後のメモが残っているものを思い出しながら掲載してみることにした。

 アダム・スミスの『諸国民の富』は、大内兵衛先生の訳で岩波文庫5冊に収録されている本の題名で一般に『国富論』と呼ばれている経済学の古典。

 これを通読したのは2001年9月と記録にあるのだが、実はあまり記憶にないのだが、感想じみた文章が残っている。つまり当時は本書を読みたいという欲望からではなく、ただ教養として目を通さなければ恥ずかしいという気分で通読したのだろうが、それでも何か感じるところがあったのだろう。ここまでは、これからもこの読書日記の常套文句になるであろう言い回し。

 スミスは、この著作以外の原稿は全て破棄することを友人に遺言し、構想から27年後に出版したとのこと。
第一編(労働の生産諸力における改善の諸原因について、また、その生産物が人民のさまざまの階級のあいだに自然に分配される秩序について)
 経済学の基本的概念を理解出来る。先ず、経済的価値の源泉は労働にあること、生産力の源泉は分業にあることを示し、貨幣の意味、価格の意味、利潤の意味、地代の意味、賃金の意味などを説明している。
第二編(資材の性質、貯蓄および用途について)
 経済学の基本的概念を更に追加して理解出来る。資本の意味と価値、利息の意味、資本が動員される法則
第三編(さまざまの国民における富裕の進歩の差異について)
 都市の商業と農村の生産活動の関係、富裕の意味、それらの歴史的考察
第四編(経済学の諸体系について)
 自由な経済活動が最大の富を生むという自由主義経済理論の原点が示されている。国家による経済への干渉は弊害のみをもたらす
第五編(主権者または国家の収入について)
 省略

2019年10月の追記:現代は当時とは違うから、例えば自由な経済活動を放任すれば格差社会を生むし、さりとて共産主義は人間の自由を奪ってしまったのも史実になっているし、しかし、スミスの考えたことから今でも生かせる部分をくみ取れるという、そのこと自体に価値があるのだ。


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