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「はじめに」で著者は地政学について次のように語っています。「地政学とは、本来、天下国家を論じる学問ではなく、人間の生きる知恵と関係するような学問だと僕は考えてます。そのあたりのことを中心に話したいと思います。」それには理由がありそうです。つまり、かっての地政学がドイツや日本で悪い意味で流行っていたことがあり、世界情勢が不安定になってきている現代において地政学の再流行の兆しが見えるからでしょう。
地政学の古典には、マハンの『海上権力史論』(海の地政学)とマッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』(陸の地政学)があるので、この二つ著作の概要も語られています。著者は地政学のことを次のように説明しています。「ある国や国民は、地理的なことや隣国関係をも含めて、どのような環境に住んでいるのか。その場所で平和に生きるために、なすべきことは何か。どんな知恵が必要か。そのようなことを考えること学問です。」また、地政学が存在する前提を「国は引っ越しできない」、という短い言葉で説明しています。
世界の国の興亡史各論における、その国々が置かれている自然環境上(地理上)の規定に加えて、「生き延びる知恵、あるいは知恵のなさ」の歴史的事実や因果関係について簡潔な説明がなされていいます。世界史や人文地理の分野における説明には、地名、地理上の位置、事実の時間関係、人名、血統図、などが沢山出てくるので理解しにくいのですが、それをあまり感じさせない程巧みな説明です(⇒説明の妥当性は別の興味の問題としてあります)。
それらの個別の事実や事象から一般性を抽出してみると、いくつかの基本的な事柄が浮かび上がってきました。その国が現実のおかれている地理上の特徴以外に、資源や気候などの自然条件の他、血縁、マンパワー、合理的思考、宗教、文化、偶然、などです。これらの項目は独立でもなく、それらの組み合わせから生じる諸事態、例えば経済力、軍事力などを挙げれば沢山あるでしょう。
著者の挙げているキーワードの一つに、「サンドイッチの具」というのがあります。これは、敵対する国によって地理的に挟まれた状態になると戦いで負けてしまうという意味で、陸の地政学に特に当てはまるとのことです。つまり、サンドイッチの具にならないように、敵味方を選定して謀略を企てたり戦争をしかけたり、あるいは婚姻関係を結んだりする知恵を絞るのが地政学だと。海の地政学では、やはり交易です。ローマの賢人キケロは「戦争は要するにお金」だと言ったとか。大航海時代以降は新しい市場が開拓されて、いわゆる地球規模でのシーレーンが重要となり、その確保戦争に勝利したスペインは大国になりましたが、暗愚な君主が続いて衰退したそうです。
いろいろな面白いエピソードが語られています。例えば、大した戦争もせず、謀略も巡らさず、ただ結婚した相手が死んだり病気になったりしたことで、わずか三代でオーストリアやスペイン及び南アメリカやメキシコまでを支配するに至ったハプスブルグ家には「ハプスブルグよ、汝は結婚せよ」という言葉が残されているそうです。ハプスブルグ家の暗愚な君主達は結局スペインを衰退させますが、血縁・血統・出自が地政学上のキーワードの一つになっていた証拠でもあるのでしょう。つまり、人々が納得する統治原理だったからでしょう。専制国家の時代には国家の統治に関与する人々がきわめて少数なために、特に大きな要素だったのでしょう。
合理的思考が地政学としても大切な要素であるのは、思い込みではなくて現実の事実や事象を基にして考えるからなのでしょう。要するに世界は妄想でも来世でもなく現実なのですから(⇒国家は幻想である、と言った人もいますが)。宗教やイデオロギーに囚われずに交易による利益で覇権を獲得した諸都市国家から現代の国民国家にいたるまで、これは通用しそうです。
国家政略についてのエピソードも面白いです。プロイセンの宰相ビスマルクなどの優れた知略ものエピソードも面白いのですが、専制君主の信じられないほどの暗愚な行為についてのエピソードはそれにまして面白そうですね。暗愚な人が国家の指導者ではなくて普通人であるという事態は一般的なのですから、彼等が指導者になってしまうことが地政学的には大問題なのだろうと思いました。