その「一般意思 2.0」とは、多様な価値観がそのままで存在しうる、物質と情報によって数値化されうる、つまり公の行為の選択は多様な私の欲望の無意識の合意としての計算結果により無事に決めうる、だから政治もそれに必須のコミュニケーションの必要性が最小となり、だから国家は極小となり、存在根拠が私の「欲望」であるような、新しいユートピアを拓く根本思想なのだ。
ルソーにたいする著者の理解は面白いが、人は一人では生きることが出来ないとすれば、全世界から一人の世界までの間にある無数の集団に属しているから、それが前提になると、そもそもコミュニケーションも政治も前提されているし、欲望の根拠も怪しくなるのでは、この新しいユートピアでは。なんかつまらなそうな社会だ。
でも大量破壊兵器で人類が全滅したり,気候変動のおかげで発生する諸災害の不幸を嘆きながらジワジワと全滅したりしない限り、そうなるのかも、あーヤダヤダ。