現代の状況は、世界の共同体の構成を、国家や企業やそれを構成する国民や一般大衆とは異質な、より自由で平等で民主的な構成へと変容させる条件を提供し始めているのだろうか。著者らは、その可能性を<コモン><マルチチュード><生政治>等々の言葉を置いて述べているが、しかし、そうでありたいという希望の域をあまり超えていないのではないだろうか。
現代世界は、今までのような政治的、経済的、社会的仕組みでは解決できそうもない、環境、格差、資源、人口、人権、等々沢山の問題を抱えている。だから、私有財産をあまり持たなくても「地球市民」的な共通意識に基づいて、平等で幸福な何らかの道を探りたいし、情報技術などの飛躍的進歩はその条件を整えるかもしれないとは思いたい。しかし、本書で援用されている沢山の人の思想・哲学は、著者らの博識のたまものだが、我田引水気味であまり説得性がないように感じる。彼らが提示している現代的問題点の解決根拠としての哲学は、すでにホッブズからロック、ヒューム、デカルト、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクスに至るまでの近代哲学が積み重ねてき
た、その核心思想を越えでるものではない。更に言えば、ネグリが現代社会の問題解決を目指して引用している過去の思想家の考えは、その中心部分ではなくかえって末端部分であり、また恣意的でさえあるような気がする。
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