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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年6月19日水曜日

6月19日(水) 岩井克人『貨幣論』 あたらしい『資本論』の始まりである、のか?

ハニーブーケ
『貨幣論』岩井克人 ちくま学芸文庫 1998年

 表題は本書の末尾に書かれていた一文「「貨幣論」の終わりとは、あらたな「資本論」の始まりである。」からの借用であるが、私は勝手にそこには次のような意味をがあると思う。

 マルクスは、個人の人権や自由に目覚め、自然を制御して富を生む力を獲得した19世紀のヨーロッパにおいて、現実においては、人々が日々を生きていくためには生命を危険にさらすほどの過酷な労働を強いられるという悲惨な社会状況がどうして発生しているのかを問い、当時の社会つまりマルクスの言う「資本主義的生産体制」の社会は必然的に崩壊することを予測し、新しい社会を構想して「資本論」を著した。その「資本論」の中で語られている「貨幣論」では、貨幣というものは「資本論」が前提している「労働価値説」(商品価値の源泉は労働という実在にあるという説)を根拠とするものであるから、著者によれば間違っている。従って、マルクスの「貨幣論」は終焉し、「資本論」とは異なる新しい社会を構想した「資本論」が始まるのだと。

 著者は文庫版への後記で「『貨幣論』とは、「貨幣とは何か?」という問いを巡る考察を通じて、「資本主義」にとって何が真の危機であるかを明らかにしようとした書物である。」と述べている。結論だけ言えば、それはマルクスが言うような「恐慌」(デフレの極)ではなくて、その反対の、それよりもはるかに資本主義の本質に関わる「ハイパーインフレ」ということになる。何故かについては、「貨幣とは何か?」という問いを巡る著者の考察から導き出されているのだが、考察の重要なプロセスはマルクスの貨幣論批判を通じて、同じ事だがマルクスの労働価値説批判を通じてなされている。つまり、貨幣が持つ価値の根拠は労働という実在にはない、と。しかし、もっと重要なことは、「貨幣とは何か?」という問い自体の視線を変更することにある。

 どういうことかというと、著者は貨幣と言語は類似していると言う。その比喩が意味していることは、ある共同体において、言語は既に昔からそこに存在しているものであって、共同体のメンバーは言語が通じることを普通は疑わないように、貨幣が通用するのは著者の言葉の「貨幣共同体」がそれが通用することを疑わない限りのことである、ということなのだろう。ここで「言語とは何であるか?」という問いに対する考察は、後期ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム(言語の本質は、対象の記号化やその論理的構成物ではなくて、関係の中で編み帰られ続ける意味の束、かな?)と思って良いだろう。

 すると、共同体自体が言葉の通じぬ関係体になれば崩壊するであろうと推測できるように、「貨幣共同体」の崩壊は、つまりハイパーインフレによって人々が貨幣(それが札束でも電子記号データでも)を信じなくなる状態とは、恐ろしいことであっても、人間が人間である以上回避できる可能性を持っていることになるのだろう。相互にそれを信頼できる条件を追求し続けることによって。

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