自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2019年5月28日火曜日

5月28日(火) 口語訳 遠野物語 佐藤誠輔訳

ハニーブーケ
もちろん原作は柳田国男の文語体の著作で、その口語訳のひとつがこの河出文庫版。1992年に佐藤誠輔さんという岩手県の小学校の先生が口語訳をして、小田富英さんという専門家の注釈がついている。

 遠野という東北の山間にある盆地、そのような土地に代々生き続けた人々の歴史の心性、著者の柳田国男はそこに人間の営みの表現を見いだしたのだろう。口語体訳なので、私でもその心性に触れることができたようだ。東北学の赤坂憲雄さんの解説も良かった。

 ここに語られているのは、高々100年ほど前の明治時代に柳田が遠野の土地の人から直接聞いた、当時の出来事についての短い物語の羅列。その出来事は、語った人にとっては事実である。しかし、合理的に考えればあり得ないことである。つまり、その言葉達は歴史の心性の表現なのだ。そのことに少しでも触れられたのでOK。

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