自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2020年11月21日土曜日

11月21日(土) 新型コロナウイルスについて少し勉強してみた

芳純
  COVID-19の第三波が襲ってきて、改めてこの感染症について知りたいと思い、『新型コロナウイルス 脅威を制する正しい知識』(水谷哲也著 東京化学同人 2020/5/19)を読んでみた。結果としては主に知識の確認ではあったが、自然科学的知識だけではなくて社会・経済的観点も含めた幅広い視点からの解説によって、改めてこの新型コロナが人類にもたらす影響を考えさせられた。

 最も根本的影響は人間の生き方に係わるもので、それは生命をもつ存在としての人間は他の生命と同じ存在であるということを嫌でも認めねばならない時代になっていると言うことだろう。人間だけが特権的に他の生き物を抹殺できると考えるのは間違っている、と。同じ人類同士が殺し合っている場合ではないことに気づかねばならない。

 人間だけが特権的にもっていると思っている理性は、今こそそれに気づかねばならない。人間に有害なウイルスだけを抹殺することは原理的に出来ないのだ。付け加えれば、一見それが出来たように見えたとしても、そのような生き方を変えないかぎり、この抹殺する作業だけが生きることと同義となってしまうのだ。簡単に言えば、ウイルス疾患は身から出た錆なのだ。

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