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民間人がこれほど多いのは、沖縄県に配属された日本軍の目的が、日本国民である沖縄の住民の命を守るためではなく、沖縄という場所と住民の労働力を、次に予想される日本本土への米軍の侵攻を止める手段として利用することであったからでしょう。
日本軍は島の南部の首里に頑強な地下本部を設置し、各地に抗戦の陣地を築きました。そして足手まといになる住民達を島の最南部へと移住させ、圧倒的な物量をもって中央部西海岸に上陸してきた米軍と、絶望的な戦いを行いました。そして最後は、首里の本部を放棄し、最南部へと追い詰められて殆どの兵力を失って敗北しました。
島の南部に移住させられた住民達は、はじめは自然洞窟内(ガマ)に待避していましたが、敗走してきた日本軍が移動してくるとガマは要塞陣地の代わりとなり、住民はガマの中で兵隊と混在したり、外に追い出されたりしました。その結果、戦闘に巻き込まれて多くの住民がそこでも亡くなりました。
沖縄出身の著者は、沖縄戦死者の遺骨を1982年以来30年間掘り続けている。遺骨が特定されて家族の元に帰ることを願って。しかも、その殆どの時期は1人で。ボランティアの協力によって行われた遺骨収集事業が那覇市の共催で行われたのは2008年。その名も「平成20年度那覇市平和事業 那覇市真嘉比地区・市民参加型遺骨収集」。本書には著者が遺骨収集で経験してきた、リアルな死が物語る諸事実が記述されている。その内容はここには記載しないが、その代わり、冒頭の「読者の皆様へ」に書かれている文章の末尾を以下に転載します。
「若い人たちに伝えたいことがあります。これからの長い人生、力の強い者についていくのではなく、弱い者に寄り添い、ともに歩んでください。それが社会がよりよくするだけでなく、人生をきっと充実したものにしてくれるはずです。」2012年8月 具志堅隆松
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