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彼(バハオーフェン)は、社会を進化論的に段階づけて、アフロディティー女神によって象徴される〈泥沼的生殖関係〉の時代、次にデメテル女神によって象徴される〈母権〉ないし〈女人政治制〉の時代、最後にアポロ神によって象徴される〈父権〉の時代が来たと論じた。この三段階のの図式はこのままの形では一般に受け入れられなかったが、父権制のまえには母権制があったという考えは、歴史家、民族学者に影響を及ぼした。またその神話研究はシンボリズム研究の先駆けとして評価されている。(大林太良「世界大百科事典」Japanknowledge personal版より)。
吉原達也訳の『母権論序説』は、『母権論』(1992~1993年にかけて白水社から分厚そうな2冊訳本があるようです)の「序説」部分で、考え方の基盤を説明してある部分のようです。1815年生まれのバハオーフェンはダーウインより6年ほど年下でマルクスより3年ほど年上の同世代、結構影響を受けたそうなニーチェは30年ほど後の世代となります。バハオーフェンの社会進化論的考えの対象は人間の社会ですが、生物を対象にしにたダーウインの進化論の影響を受けているのかどうか、本書を読んだ限りでは分かりません。つまり、父権制が母権制より進化した社会なのだと著者が考えていたのかどうかは分かりません。
面白いところは、著者の説が真実を言い当てているかどうかではなく、歴史の真実に近づく方法として「神話」が取り入れられていることです。つまりそこには社会法則としての普遍性が直観されうるのではないか、というアイデアです。本書は「序説」なので、個別の事例研究の記述はあまりありませんが、古代ギリシャの父権制以前の神話時代の社会の読み解きは興味深いものがあります。つまり、人間と物質との関係性および人間の心性を離れては、歴史的知識は内面的に完結しないと言うことです。方法論自体についての、著者の考えの一部を以下抜粋してみました。
現代(19世紀中頃)の歴史研究は事件、人物、時代関係の吟味だけに限定して進められているにすぎず、また歴史時代と神話時代という区分を設定し、しかも神話時代を不当に拡張している。<中略>知識は、起源、継続、結果を把握して初めて、理解へと高まるのだ。そして、全ての発展の端緒は神話にある。われわれは、古代を今まで以上に深く探究しようとすれば、常に神話に立ち帰らざるを得ない。神話のうちにこそ起源が潜み、神話だけが起源を解き明かしうる・・・。
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