自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2024年5月9日木曜日

『君のお金は誰ため』(田内 学)元トレーダーのまっとうな感覚に共鳴

芳純
  先回から4ヶ月も経ってしまった。此の間10冊ほど通読していたが、アップロードが面倒でサボっていた。

 世代が交代しつつある。結構若い元トレーダーが、経済学の根本を、面食らうほどまっとうに書いてある本が売れるとは。この本は、お金って何?という問いをもった人には改めて考える視点を与え、子供達に金融教育が必要という向きには、スキルの前に意味を教えるための副読本として薦めたい。

 私風に本書を纏めると以下のようになる。

 社会は、その構成員達が働くことによって、お互いが必要な物やサービスを作り出したり、それぞれの抱えるる問題を解決し合ったりすることで成り立っている。人類は、歴史と通して、そのような営みを可能とする媒体として貨幣を生み出した。貨幣が有用となる前提は、社会のあり方を理解し、よりよい方向にする意思を持ち、各自が役立っているという自覚をもてることだ。この前提が崩れれば人々はお金の奴隷となり、貨幣も役目を果たせなくなり経済は破綻し、同時に社会も崩壊することになる。

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