自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2024年4月23日火曜日

『すごい物理学講義』という本を読んでみたら、ホントに凄かった

仲間の読書会で物理学好きの人がいて、選んだ本がこれ、著者カルロ・ロヴェッリで出版社は河出書房新社。つまり最新の物理学理論(の有力な説)が素人にもわかりやすく書いていると。確かに凄かった。以下感想文。

キエビネ

時空も実在も、物理学によってその根拠が与えられつつある。

 100年ほど前にアインシュタイン(特殊・一般相対性理論)によって、距離と時間、物質とエネルギー相関が明らかにされて単純な数式で表現され、光の速度は距離と時間で測定されるのではなくて光の速度こそ定数であることが発見され、続いて時の流れは重力で変化し空間の意味も拡張・変化た(歪んでいるという意味を持つ)。
 
 更に、原子構造の理解から始まった量子論が、ザックリとここ20年ほどの知の蓄積により、時空と実在の意味を刷新しつつあり、世界における無限は無力化されて量子という有限だと証されてアキレスが亀に追いつくことが当たり前であることが不可疑となったばかりではなく、物質のみならず時空自体も量子化された有限の実在であり、しかもそれらは情報と相関し数式化されつつある。

 つまり、我々が人類であるかぎり情報が実在となり時空の量子の世界で生を営むことをリアルと呼ぶことになるだろうか?。だがそうだろうか?コトバも共感もここでいう情報を超えた信憑なのではないのか、我々(ホモサピエンス)にとっては。

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