自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2024年8月29日木曜日

『共産党宣言』(岩波文庫)大内兵衛、向坂逸郎訳

突然、何だ?今ごろ?。実は斉藤幸平さんの『マルクス解体』を先日読んだときに紹介されていた佐々木隆治さんの著書『私たちは何故働くのか』を通読していた際、パラパラと昔の読書メモをみていたら、2003年の読書メモに『共産党宣言』があったので、そのまま記載してみた、という次第。『資本論』を真面目に完読したのがこれから15年後だから、今読めば,このメモも変わるだろうけど。
百合

 読むのに時間がかかると思っていた本が不思議なことにスーと読めてしまった。使った時間は電車の往復に要した二時間ほど。だから読み落としも読み違いもたくさんあるだろうが、この本は大体次のようなことを言っている。「社会は様々なグループに分かれているが、本質的な区別として階級があり、この階級間では争いが起こるものである。また、社会は歴史的に段階を追って発展するもので、先進地域である欧州の近代ブルジョワ革命は内包する矛盾(資本による人間疎外など)があるから崩壊し、その後にやってくるのはプロレタリア階級独裁国家である。」。
 この本から見る限り、自由と民主主義は共産主義も目指すものだが、それを実施できるのはブルジョア階級が独裁するであろう資本主義ではなくプロレタリア階級が独裁する共産主義であると言っているようだ。当時の欧州に限らず現代においてさえこの本が指摘している矛盾は現実に満ち溢れ、矛盾から生じる危険はますます増大しているかに思える。しかし、大事なことは共産主義がその解決になるのかと言うことである。ソ連の崩壊は一つの結果を示して入るが、それが単純に資本主義の勝利であるから安心して思考を停止してもよいということには全くならない。逆に益々人間社会の本質を突き詰めて考えることが人間と言う「種」(少し表現が突飛だが)に求められていると感じた。
  この本が予測した内容はさておいて(大体予測は当たらない)、その考察自体には学ぶべきところがあることを忘れてはならない。

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