自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年8月9日水曜日

8月9日(水) 網野善彦先生の歴史観『「日本」とは何か』日本の歴史00講談社


網野先生の歴史の本は面白くて20冊ほど読んでいる。その中で2000年に出たこの本は、先生の歴史観を纏めて理解するのに適切だと思う。なので、3年ほど前に仲間の読書会で一回取り上げたことがある。その時のレジュメは別ブログhttps://gansekimind-nihonshi.blogspot.jp/2017/08/00-200010.htmlで公開したが、一部を紹介しておく。

冒頭で、人類社会の歴史についての先生の認識が述べられる。人類社会の歴史は、いまや青年時代をこえて壮年時代に入ってきた。壮年時代においては、それに相応しい思慮深さが否応なしに要求されている。近代以降の進歩史観によって切り捨てられた多様な世界をすくいあげ、それを人類史の中に位置づけて、新たな人類史像を描き出し、本当の意味での「進歩」とは何かが追求、模索され始めている。もとより日本人もまた同じ課題を負っている、と。日本人の自己意識とその現状については「・・・敗戦前の亡霊たちが姿を変えてわれわれの前にはっきりと現れてきた現在こそ、まさしくこの総括の作業を開始する最適の時点と、私は考える。」、と。
 最後に、国家とは何であったのであり、これからはどうあらねばならないのかという難題について、日本国の天皇の歴史研究がヒントを与えるだろうと、興味ある記述をしている。「そしてその上で、改めて列島社会と「日本国」との関わりの歴史を偏りなくとらえ、「日本国」の歴史を徹底的に総括しなくてはならない。これは単に「国民国家」を克服すべきものとして対象化するだけにとどまらない。先も述べたとおり、「日本」という国号を持つ国家、それと不可分に結びついた「天皇」をその称号とする王朝は、もとよりさまざまな変遷を経ているとは言え、ともあれ1300年余りの間、間違いなく続いてきたのである。これは人類社会、世界の「諸民族」の歴史の中でも、余り例のない事柄であることは間違いない。しかしそれだけに、逆に言って、この国家と王朝の歴史を真に対象化(この対象化とは、対象と概念との弁証法的展開における対象化であろう)し、徹底的に総括することが出来るならば、それは人類社会の歴史全体の中での「国家」そのものの果たした役割、また「王権」の持ってきた意味を、根底から解明し、その克服を含む未来への道を解明する上で、大きな貢献をすることが出来るのではなかろうか。」、と。

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