自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年8月5日土曜日

8月5日(土) マーク・マゾワー『暗黒の大陸』

 仲間の読書会でやるというので、高価で長いが思い切って買って読んでみた(500ページ以上もあって、本体で¥5,800)。出版は1998年。一人では読まなかったであろう価値ある本に出会うのは、やはり楽しいことだと思う。
 20世紀のヨーロッパ通史という野心作で、自分たちヨーロッパの歴史認識にやや批判的内容となっている。今はコロンビア大学教授の著者は1958年生まれの著名な歴史学者だそうで、豊富な知識に基づいて書かれている歴史解釈は面白く読むことができた。
 20世紀前半、ヨーロッパでは戦争や国家の暴力によって6000万人が殺された。その後に開発された大量破壊兵器を用いた国家同士の戦争はまだ起こってはいないが、経済的格差は異常な速さで進行中だ。これは史実だが、そこからわれわれはどう未来を構想するのだろうか?
  読む視点によって注目するポイントは違ってくるだろうが、人々が平和に共存するためには、人間個人はみんなホモ・サピエンスという同じ仲間であってそこに差別はないことがまずは前提されなければならず、共同体としての社会の仕組みは民主主義と制御された資本主義という組み合わせ以外にはあり得ない、ということが本書から読み取れる。
 それらは、焦って極論に走ったり、自分で考えられずに偏見に犯されて簡単な事実すら見えなくなったりせずに、常に鍛え続けることでしか存続し得ないのだ。20世紀のヨーロッパ通史は、そのことが充分にはできていなかった歴史となっている。
 尚、本書は読書メモとし別ブログに残しておく価値があると思うが、内容が多いから少し時間がかかりそう。出来上がったら、この日記で知らせるつもりだ。



 
 

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