自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2017年9月17日日曜日

9月17日(日) 科学を見直してしまう『構造主義科学論の冒険』(池田清彦)


 読書メモの方は爺~じの「本の要約・メモ」の方にアップした(A4で26ページ)。
かなり前に、フリーソフトのロジックツリーでまとめたが、そのソフトを持っていないと見ることが出来ないため、箇条書きになおしてみた。

 読書感想文は、5月17日(水)のところで書いたが、言い換えると、科学に対する理解の視点が転換される本だと思う。

 つまり、科学は外部にある客観的真理を発見するものではなくて内部にある同一性を追求する営みであると。

 だから、多分地球外生命がいたならば、別の物理学体系を作るのは間違いないし、互換性があるとしても別の数学を作るだろうなー。ホントかどうか知らないけど。

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