自己紹介

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1946年9月、焦土と化した東京都内にて、食糧難と住宅難と就職難の中、運良く生き抜いた両親の新しき時代の一発目として生を受けるも、一年未満で感染症にて死にかける。生き延びたのは、ご近所に住む朝鮮人女性のもらい乳と父親がやっと手にした本の印税全部を叩いて進駐軍から手に入れたペニシリンのおかげであったらしい。ここまでは当然記憶にない。記憶になくても疑えないことである。 物心がついた頃には理系少年になっていた。それが何故なのか定かではないが、誤魔化しうるコトバより、誤魔化しえない数や図形に安堵を覚えたのかもしれない。言葉というものが、単なる記号ではなく、実は世界を分節し、意味と価値の認識それ自体をも可能にするものであることに気付きはじめたのは50歳を過ぎてからであった。 30年間程の企業勤めの後、現在は知の世界に遊ぶ自称哲学徒、通称孫が気になる普通の爺~じ。ブログには庭で育てている薔薇の写真も載せました。

2018年5月7日月曜日

5月7日(月) H.アーレント『人間の条件』の研究会が始まった

ベルサイユの薔薇
まだ無名ではあるが、H.アーレントの研究者を講師に招いて、仲間と『人間の条件』(ドイツ語からの森一郎先生の翻訳が最近『活動的生』のタイトルで出たので、そちらも並行し読みながら)を読み始めた。
 著者は、残念ながら1975年に69歳で亡くなっているのだが、彼女が政治というものを哲学的にどのように捉えていたのか、その本当のところを知りたいと思ったのがその動機だ。少なくとも西洋の伝統的形而上学的な考え方ではなく、人間の実存からの思考のはずだからだ。
 まだ、第一章まで読んだところだが、アーレントの政治哲学の基盤となっている部分が覗えて先が楽しみだ。人間の知識が己自身を滅亡させるほどの現実をもたらしたこの不安に満ちた現代において、人間の本質を問うのではなく、人間が人間たる条件を問うこと、それがはじめの問いだ。

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