ハンナ・アーレント『活動的生』(森一郎訳、みすず書房)
第二章 公的なものの空間と、私的なものの領域
4 人間は社会的動物か、それとも政治的動物か
この節の一言⇒節の標題と同じ
この節では、古代ギリシャのポリスにおけるポリス的生き方が記述される。記述する視点は活動的生の三契機、とりわけ<行為>の部分である。著者は、歴史上のある条件のもとで出現した古代ギリシャ市民のポリス的生活に、活動的生の<行為>が顕現していることを発見したのだろうと思う(⇒その記述された内容はにわかに信じられないと同時に憧れさえ抱きそうになる)。ローマ時代になると、古代ギリシャ市民にとっての政治的生き方は、ローマ人にとっては社会的生き方と同じようなものと理解されていく。
・アリストテレスの人間規定「人間とはポリス的生き物である」のセネカのラテン語訳では「ポリス的生き物」が「社会的動物」となる。最終的にはトマスは「ポリス的」=「社会的」と記述する
・「社会的」という言葉はラテン語にしかなく、それに相当するものはギリシャ人の言語にも思想にもない
・ラテン語の「社会的」という語には、初めは限定的にであったが政治的意味が含まれており、後に「社会的」であること、すなわち社会の中で生きることは人間の本性に属すると考えられるようになった
・ギリシャ人は、ラテン語の「社会的」という意味を人間的なものに特有な基本条件の一つとは考えられず、動物として共通のものと考えていた
・ギリシャ人にとっては、政治的組織を作る能力は、家を中心にして営まれる自然的共生と区別されるだけではなく対立したものであった
・アリストテレスによれば、ポリスの創設は自然的な部族団体をすっかり解消した後に行われたのであり、またこれは歴史的事実でもある
・ギリシャ人にとって真にポリス的なものは、行為と言論の二つの活動だけとみなされており、それはプラトン、さらにホロメスの時代にまで溯る
・ギリシャ人にとっては、思考とは言論から生じるものでその逆ではなく、言論と行為とは等根源的なものであった。しかるべき瞬間にしかるべき言葉を見出すということ自体が、すでに行為だからである。「沈黙しているのは暴力だけである。つまり、口がきけないから暴力をふるうのだ」
・プラトンに始まる政治哲学にしても、ポリスの言語本位の経験世界から生まれた。ところが、次第に行為と言論は切り離されていって、眼前の出来事に対する応答や抵抗時の際立ったやり方であった言論が、説得手段としての弁論となった
・ギリシャ人にとっては他者を説得する代わりに命令すること、説得に代わって暴力で強制することは、ポリス以前の人間関係のあり方であった
・ポリス以外の生活、つまり家や家庭の生活では、家長は家や家庭に属するものに対して専制的な権力を行使した
・ギリシャ人にとっては、アジアの野蛮な帝国は、家の場合と同じに考えられた
・アリストテレスは、人間は政治的動物であると規定したが、その拠り所の経験はポリスの生活の経験であり、人間的共生の自然領域の外側であった
・アリストテレスのもう一つの著名な人間規定に、「人間とはロゴスを持つ生き物である」というのがあって、ラテン語では「人間は理性的動物である」と訳されているが、この訳は社会的動物という概念と同じく根本的な誤解に基づいている。なぜなら、アリストテレスにとって人間の最高の能力とは、語りつつ議論し、議論しつつ思考すること、ではなくて、観想の能力であったからである
・アリストテレスの人間規定だと一般に信じられているものは、実はポリスの住人であるかぎりでの人間の本質に関する、ポリス住民のありふれた見解にすぎない。奴隷や野蛮人は
「ロゴスを欠いている」人々という言葉で呼ばれたが、これはポリスの外で生活する、語ること自体が無意味である人々という意味である
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